1494年(日本では明応三年)11月6日は、オスマン帝国の「大帝」ことスレイマン1世が誕生した日です。
「スレイマン」とは、旧約聖書に出てくる「ソロモン」という王様のトルコ語読みにあたります。
「動物と話せる指輪」を持っていたとか、「悪魔を72柱封じた」とか、厨二心をくすぐられるエピソードてんこもり。
旧約聖書では「昔神童、今は色ボケジジイ」(超訳)になってしまったダビデ王の息子ということになっています。
ソロモン王自身はボケてないというか、「エチオピアの女王と知恵比べをして勝った」といった知恵を象徴する人物とされていますね。
ならば、その名前をとったスレイマン1世も頭がいい人だと思います?
それも間違いではないのですが、どちらかというと軍事力に秀でた皇帝でした。
前置きが長くなりましたが、ざっくりと彼の生涯を見ていきましょう。
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父の急死により慌ただしく皇位継承 男兄弟は……
スレイマン1世は、オスマン帝国の東端に近いトラブゾンという町で生まれました。
冬季オリンピックの開かれた、ロシアのソチと黒海を挟んで向かい側にある都市です。
世界史の表舞台にはなかなか出てきませんが、紀元前7世紀にギリシア人が交易拠点として築いた町なのだとか。
交易=人が集まる=文化が育つわけで、そうしたところで生まれたからか、スレイマン1世も後々学問や芸術、建築などに興味を示しています。
しばらくの間は父であるセリム1世の不在を守る役目などをしていて、父の急死により慌ただしく皇位を継ぎました。
スレイマン1世は26歳になっていましたので、むしろ世代交代のタイミングとしてはちょうどよかったかもしれません。
オスマン帝国だと大体の場合、こういうときは血みどろの争いが起きるのですが、スレイマン1世はスムーズに皇位についているという不思議。
元々、男兄弟がいなかったか、既に(ピー)していたかどちらかでしょうね。できれば前者であってほしいものです。
即位してからは、父の方針を引き継いで領土拡張に力を注ぎました。
オスマン帝国がヨーロッパ諸国から「衝撃」「脅威」と呼ばれるようになったのも、スレイマン1世の存在が大きいと思われます。
なんせ彼の時代にオスマン帝国は、西はハンガリー・モハーチから東はイラク・バグダード&アゼルバイジャンまでという、広大としかいいようのない領土を手に入れたのですから。
中世まっただ中のヨーロッパは絶賛混乱中
オスマン帝国の時代=16世紀前半~半ばのヨーロッパというと、だいたいこんな感じでした↓
・イギリス(イングランド)はヘンリー8世が妃をとっかえひっかえ&処刑中
・フランスはイタリアにいろいろ口と手足を出していた
・キリスト教関係では、ルターが95ヶ条の論題を出してプロテスタントのはしりになったり、イエズス会が創設されたり
・スペインとポルトガルは大航海時代に突入、渡航先の国を滅ぼしたり先住民に殺されたり
・ロシアは雷帝ことイヴァン4世が「ツァーリ」という称号を使い始めたころ
こんなドタバタしてるところに、めちゃくちゃ強い軍隊が来たらそりゃ恐ろしいですよね。
ハンガリーなんて王様を討ち取られちゃってますし。
ちなみに、日本はこの頃戦国時代まっただ中ですね。
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康が生まれたり、鉄砲が伝わったり、桶狭間の戦いや厳島の戦いなど、戦国時代のハイライトとなる出来事がおおむね同時期に起きています。
日本とオスマン帝国が近所じゃなくて本当に良かった良かった。
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