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【アリエノール】
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反乱の責を問われ15年もの間囚われの身に
アンリの母が一時期イギリス初の女性君主になったこともあり、従兄のイングランド王がアンリを後継者に指名して亡くなると、アンリはイングランドに渡りました。
ヘンリー2世として即位したのです。
アリエノールもこれでイングランド王妃となりました。
ちなみに、ルイ7世と「結婚の無効」になった理由は「近親婚だから」というものだったのですが、ヘンリー2世とのほうが血筋は近いんだそうで。無茶苦茶や。
そんな調子だから十字軍がコケたんでは……。
しかし、二回目の結婚生活もあまりうまくはいきませんでした。
アリエノールは教養があるゆえか、ヘンリー2世ともやがて仲違いしていくようになります。
ヘンリー2世と共同統治者になっていた次男ヘンリー(ややこしい)が反乱を起こすと、下の息子たちと一緒に次男に味方しようとしたくらいですから、その頃までにかなり険悪な状態になってしまっていたのでしょう。
この企みは失敗し、アリエノールはヘンリー2世に捕まり、それから15年もの間、囚われの身になってしまっています。
しかし、息子のリチャード1世(獅子心王とも)の即位とともに開放され、その後80代まで長生きしています。
「最後に笑った」のはアリエノールということになるでしょうか。
11人の子供を産み、欧州中の王家に子孫が拡散
また、アリエノールの特徴として、非常に多産だったことが挙げられます。
最初の結婚相手ルイ7世との間に3人(うち1人は流産)。二回目ヘンリー2世との間に8人の子供をもうけてます。
そのうち幼くして亡くなったのは一人だけでしたし、アリエノール本人も長寿だったことを考えると、当時の状況としては心身ともに相当強い女性だったのでしょうね。
アリエノールの娘の一人・エレノアが最も彼女に似ていて、スペインの前身の一つであるカスティーリャ王国に嫁ぎ、12人もの子供を産みました。
その血筋から多くのカスティーリャ王・ポルトガル王が生まれています。
エレノアの他にもドイツやイタリアの小国に嫁いだ娘がおり、その子女らも君主や王妃になった者が多い。
ゆえにアリエノールを【ヨーロッパの祖母】ということもあるほどです。
この二つ名はマリア・テレジアやヴィクトリア女王にも使われるのですが、時代的に考えると、アリエノールが元祖といえそうですね。
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長月 七紀・記
【参考】
アリエノール・ダキテーヌ/wikipedia
アキテーヌ地域圏/wikipedia
ヨーロッパの祖母/wikipedia