1889年(日本の明治二十二年)3月31日、パリのシンボルマーク・エッフェル塔が完成しました。
凱旋門と並んでパリの名所として知られていますが、「地味な東京タワー」という印象の方もおられるでしょうか?
「いやいや、東京タワーがエッフェル塔のパクリでしょ」という人もいそうですね。
意外にも(?)エッフェル塔と東京タワーには直接の関係はありません。
今回はエッフェル塔の歴史や建設の経緯について確認してみましょう。
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目的はただの高い建物
そもそも、東京タワーとは建てられた経緯も違います。
東京タワーは最初からテレビ電波のために作られましたが、1889年に完成したエッフェル塔にそんな意図はありません。
では何のためにあんなデカイ塔を建てたのか?
と、これがとてもシンプルな話。
パリで行われた第4回万国博覧会(万博)の目玉・シンボルにする目的だったのです。
たったそれだけのために最頂部300メートル超の塔を建てたの……?とツッコミたくもなりますが、これまたおフランスらしい理由がありそうです。
ワタクシめの私見ということでご承知ください。
エッフェル塔建設計画から遡ること約35年前、ロンドンで世界初の万博が行われました。
そこに対する【対抗意識】からではないでしょうか?
ロンドン万博でも規模のハンパない建築物が建てられました。
その名も”クリスタル・パレス”(水晶宮)といいます。もちろん水晶(石英)で作られた建物というわけではなく、鉄骨とガラスからなるものです。
そもそも「透き通る建築物」という存在自体がそれまでにない概念でしたので、万博の展示品より会場であるクリスタル・パレスのほうが注目されていたかのような節もあります。
元々万博会場として建てられたものですから高さはさほどなかったようです。
それでもデカイです。
全長500メートル超
奥行き120メートル超
まさに”パレス”=”王宮”の名にふさわしい建物でした。
残念ながら1936年に全焼してしまったため現存しておらず、グーグルマップで【クリスタルパレス】と検索すると東京ディズニーランドがまっさきに上がってきます。
イギリスとのライバル争い
イギリスとフランス、両者の間にのっぴきならない縁があるのは皆さんご存知でしょう。
百年戦争(ジャンヌ・ダルクなどが活躍)の因縁どころか、それ前にはフランス出身の王様にイングランドが征服されたり、その流れで英語にはフランス語から変形してできた単語が大量にあったり、植民地を巡ってあっちこっちで戦争したり、お互い切りたくても切れません。
どちらかというと文化面ではフランス優勢な時代が長く続きました。
ただ、あっちこっちの戦争においては三枚舌海賊紳士・イギリスの方が勝つことが多く、ある意味どっこいどっこいという関係ですかね。かなり端折って説明するとそんな感じ。
なんせ両国は34km(ドーバー海峡の最短距離で東京駅~横浜駅ぐらい)しか離れてないんですから、お互いに影響受けまくりますよね。
フランスのほうはといえば当然「野蛮なことはともかく、芸術にかけてはウチが世界で一番に決まってる!」という考えが根底にあるわけです。
おそらくや現代でも、大なり小なりそんな意識が漂ってそうですよね。
まぁ、芸術とか文化の発祥ってイタリアの方が多そうな気もしますけど、まぁ、ここでは良しとして。
ともかくイギリスの「クリスタルパレス」が大評判になったわけですから、フランスとてなにかせずにはいられません。
「あっちが広さと透明さなら、こっちは高さで勝負じゃ!!」という意識が働いたのでは?
パレスは半年 エッフェルは2年
建設期間にも何となく両国の関係が影響している気もします。
クリスタル・パレスはなんと半年で建てられているのです。上記の規模の建物、しかも当時どこにもなかった全面ガラス張りであることを考えると、脅威の早さとしかいえません。
エッフェル塔はさすがにここまで早く建てることはできず、2年強かかっています。
しかし、これだけの高層建築にも関わらず工事中の事故死者はいなかったそうですし、現在も無事残っていることからするとこちらもスゴいことには変わりないですよね。
ちなみに東京タワーはだいたい一年くらいで建てられています。
こちらは時代も技術も違いますから、単純な比較はできませんけども。
デザインや設計についてはコンペが開かれ、最終的にエッフェル社が選ばれました。
もともと鉄橋建設などに実績があった会社だったので、工事も可能だったのでしょう。
世界遺産にも登録
かくしてパリの新しいランドマークとしてデビューしたエッフェル塔。
古き良きパリを愛する芸術家たちからは賛否両論でした。
中には「エッフェル塔を見たくないからエッフェル塔1階のレストランに行く」というほどのツワモノもいたくらいです。
いかにも皮肉めいたエピソードでフランス人っぽい(?)。日本なら、逆に好きなんじゃん!ってツッコミが入る場面ですね。
著作権者のエッフェル氏の反論はというと極めて冷静なもので、「風圧にも耐えられるし、軍事的にも各分野の研究にも役立つ塔なんだから美しくないわけがない」(超概略)という感じでした。
この辺は理論第一の建築家と、感覚最優先の芸術家の違いですかね。
反対意見が根強かったためか、そもそもの目的が「万博のため」だったからか、実はエッフェル塔は解体の危機に晒されたことがあります。
しかし「軍事用の電波を飛ばすのにちょうどいいから使いたい」という話が出てきたため、運良くそのまま残されることになりました。
そして今でもパリの名所として親しまれているというわけです。
1991年には周辺風景とあわせて世界遺産に登録されましたので、多分もう二度と解体の話が出てくることはないでしょう。
機会があればぜひとも一度訪れてみたいところですね。
長月 七紀・記
【参考】
エッフェル塔/wikipedia