何かを作る職業の中でも、小説や物語を書く作家は特に元ネタの幅広さが重要になってきます。
夢から着想を得たり、夢そのものをストーリーにしたり、あるいは自らの経験を参考にしたり。
ネタのきっかけはそれこそ何でもあり、時には黒歴史を掘り起こすようなこともありますが……まあそれはそれで、歴史に残るような作品ができることもありますしね。
今回はその一人と思われる、世界的に有名な作家の一人に注目。
1805年4月2日、デンマークの童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンが誕生しました。
『親指姫』や『人魚姫』あるいは『裸の王様』などの作者です。
日本でも有名な話が多いので、ほとんどの方がご存知でしょう。
しかし、アンデルセン本人がどんな生涯を送ったのか?というと案外知られていない気もします。
本稿では、童話ではなくご本人の事績に注目したいと思います。
父をなくして学校中退 女にはもてず
アンデルセンは、あまり裕福な家の生まれではありませんでした。
しかし両親には愛されており、学校にはきちんと通えたことは幸福でした。そのおかげか、幼い頃から芸術に関心を持ち、そうした方面の仕事をしたいと考えていたようです。
最初はオペラ歌手やバレエダンサーになりたいと思い、その方面に進もうと努力しました。
が、お父さんが早く亡くなってしまったため、学校を中退せざるをえなくなり、苦しい生活が続きます。
運良く王様や政治家が助成してくれ、大学には行けたのですが……。あろうことか学長にpgrされるという憂き目に遭い、あまり楽しい学生生活ではなかったようです。
その代わり、ヨーロッパ各国を旅していろいろな文物や人々に出会い、後の創作活動のタネを育てていきました。
在学中に徒歩での旅行記を自費出版したときは、ドイツ語版の訳書が出たといいますから、文才はこの頃からあったのでしょう。
当初は小説のほうが好評で、童話はなかなか……という感じでしたが、アンデルセンはめげずに書き続けました。
何作か発表した後、パリを訪れて同時代の作家とも幅広く交流するようになります。
同じ童話作家のグリム兄弟や『ああ無情(レ・ミゼラブル)』で有名なヴィクトル・ユゴーなど、錚々たるメンツとの交流が伝わっています。
作家というとあまり社交的なイメージはありませんけども、意外ですね。
しかし女性と話すのは苦手だったようで、失恋ばかりしていたようです。
ラブレターが残っているそうなんですけどもやめたげてよお! というか皆作家の黒歴史掘り返さないであげて!
自分のことをわかってもらおうとしたのか、「意中の女性に自伝を送る」という一見わけのわからんこともしていたそうなので、それが失恋の一因のような気がしないでもありません。
一言そう書き添えておけばうまくいったかもしれませんね……残念(´・ω・`)
逆わらしべ『父さんのすることはいつもよし』
そんなこんなであまり幸せと呼べる時期が多くなかったからか、アンデルセンの作品にはハッピーエンドといいきれるものはそうそうありません。人魚姫なんかがまさにそうですね。
が、中にはとてつもなくプラス思考な作品もあります。
そのひとつが『父さんのすることはいつもよし』という話です。
デンマークの民話を元に作られた話らしいですが、ラストはアンデルセンのオリジナルだといわれています。
「父さん」が主人公の物語で”最初は馬を持っていたが、いろいろ考えているうちにどんどんショボいものと交換していってしまう”という傍から見ててもハラハラする話です。
逆わらしべ長者みたいな感じですね。
しかも最後に交換したのは傷んだリンゴです。何をどうすれば馬がそんなものになるのかツッコみたくなった方が大多数だと思いますが、ご興味のある向きはぜひ直にお読みください。
そして傷んだリンゴを持って、父さんは酒場にたどり着きます。散々歩き回って疲れたので、一杯飲んで帰ろうというわけです。
そこでたまたま居合わせたイギリス人に、交換し続けたことを話すと、まあものの見事にバカにされました。そりゃそうだ。
イギリス人は「奥さんにせっかんされるぞ」と言いますが、父さんは屁の河童。
「いやいや、せっかんどころかせっぷんされるだろう」と大笑いしました。誰がうまいこと言えと。
せっぷんとは要するにキスのことです。北欧だと南欧ほどほっぺにチューみたいなスキンシップは少なそうな気がしますが、当時はそうでもなかったんですかね。
イギリス人も予期せぬのろけ話にイラッとしたらしく、「そんなら賭けようじゃないか。奥さんがあんたにせっぷんしたら、この金貨をやろう」と言い出します。
父さんも話に乗り「じゃあ俺は、俺と奥さんとこの傷んだリンゴを賭けよう」と言いました。
どう考えても最後いらねえ。
そして賭けの結果を確かめるべく、父さんとイギリス人は揃って家に向かいます。
出迎えた奥さんはことの成り行きを聞き、「さすが父さん! 私のことを色々考えてくれたのね!」と褒め称え、父さんにせっぷんしました。ヒューヒュー!
そう、父さんがショボいものと交換を続けたのは、「これよりあっちのほうが奥さんは喜ぶだろう」と考えてのことだったのです。
見せ付けられたイギリス人は大人しく金貨を払い、めでたしめでたし……というところで話は終わります。
最終的にはイイ話なんですが、アンデルセン本人が生涯独身だったことを考えると、よくこんなラブラブ(死語)な話が書けたものだなあと思ってしまいますね。
独身つらぬくも多くの人に愛されてお札にも
とはいえアンデルセンは人から好かれないタイプというわけではなかったようです。
彼は70歳のとき肝臓がんで亡くなったのですが、葬儀のときには王太子フレゼリクに各国の大使、ホームレスや子供などありとあらゆる層の人間がやってきて、大混乱になるほどだったといいます。
これほど広い世代や身分の人々に作品を読まれたというだけでも、結構スゴイことですよね。
また、死後はデンマークの通貨・クローネの紙幣に肖像画が印刷されていたこともあります。
故郷・オーデンセをはじめとしてデンマークのあちこちに彼に関する建物が建てられました。
さらに亡くなって約80年たった1956年(昭和31年)には、「児童文学のノーベル賞」とも賞される国際アンデルセン賞が創立されました。
「児童文学といえばアンデルセン」という評価と親しまれぶりは今も変わっていないようです。
これなら、恋愛がうまく行かなかったとしても寂しくない……ですかね?
長月 七紀・記
【参考】
アンデルセン/wikipedia