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【ルートヴィヒ2世】
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夜中にそりで遊んでいるところを目撃されるて……
その後、普仏戦争で弟・オットーが精神を病んで以降、ルートヴィヒもまた不可解な言動が目立つようになったといわれています。
昼夜逆転生活はまだいい。
一人で食事をしているときに客人がいるかのような言動を取ったり、夜中にそりで遊んでいるところを目撃されたり。
このままでは王としての責務を果たせないと感じた家臣たちは、ルートヴィヒ2世を廃位し、叔父のルイトポルトを摂政にして政治を執り行うことにします。
そしてその後ルートヴィヒは、バイエルン領内のベルク城という小さな城に送られました。
「殺す理由はないけど、政治にかかわれるような場所にいられると困る」というところでしょう。
しかし、着いた翌日、近隣のシュタルンベルク湖で侍医と共に亡くなっているところを発見されました。
死因は溺死とされましたが、ハッキリしていいません。
怪しいにもほどがあるやろ。
死を偲び湖面の際に十字架
そもそも彼が本当に精神を病んでいたのかどうか。
疑問の余地があります。
上記の通り普墺戦争で多額の賠償金を負った後も、ルートヴィヒ2世の建築道楽が直らなかったため、廃位の口実として偽の診断書を書かせたのが正しいのではないか?という説があるのです。
医師の診断記録や奇行の詳しい記録もありませんし、となると死因も極めて怪しい。
建築道楽がいかんというなら、もっとお金がかかる上に人命もかかり、王も反対していた戦争などかかわらなければ良かった話ですし。
「余は湖で泳ぎたい!」
「やめてください!」
「えーい離せ!」
「暴れないでくださ……あああ!!!!」(バッシャーン)
~完~
みたいなことは……ないですよね……。
ルートヴィヒ2世は、当時嫌われていた作曲家ワーグナーを庇護したり、彼が建てた中では唯一完成したリンダーホーフ城の設計者であるカール・エフナーには貴族の位を与えるなど、気前の良い面も持っていました。
この人たちから見た印象が明らかになれば、もう少し素の姿がわかるんですけどね。
残念ながら資料が見つかりません……。
★
シュタインベルク湖には、ルートヴィヒ2世を偲ぶ礼拝堂と、湖面の際に十字架が建てられたといいます。
少なくとも民衆にとっては「美しく立派な王」と見られ続けていたのでは?
かつての友人・エリーザベトも、彼の死後に「あの人は夢を見ていただけでしょう」と弁護に近い発言をしています。
はてさて、本当はどんな人だったのでしょうね。
長月 七紀・記
【参考】
ルートヴィヒ2世 (バイエルン王)/Wikipedia
ノイシュヴァンシュタイン城/Wikipedia
ベルク城/Wikipedia