ドイツ革命

キールで労働者が蜂起(1918年11月4日)/wikipediaより引用

ドイツ

第一次世界大戦の始まり終わりは【ドイツ革命】から見るとスッキリ!

世の中には「何がどうしてそうなった」としかコメントのしようがない出来事というのが多々あります。

そしてその中には「事実は小説より奇なり」で済まされないことも含まれています。

本日はそんなお話。

1918年(大正七年)11月3日は【ドイツ革命】が始まった日です。

それだけなら「ふーん」という話ですが、この革命は世界史にいろいろな影響を与えました。

一番デカいのは、第一次世界大戦終結の一因となったことです。

さっそく話がこんがらがってきましたので、まずは「ドイツにとって、第一次世界大戦とはどんな戦争だったのか」という点から見て、大幅に端折りながら振り返ってみましょう。

第一次世界大戦の主戦場はほとんど日本から遠いということもあってわかりにくいですし、今回はドイツ周辺だけに限定させていただきます。

他にもオーストリアとの関係とか他の戦線とかいろいろあるのですが、何万字になるかわからんので割愛。

きちんと知りたい方は教科書や書籍をご活用ください。

 

フランスを徹底的に懲らしめ恨みを買った?

さて、時を遡ること1870年。

当時のドイツ宰相・ビスマルクは、ドイツ統一の道筋としてフランスと戦争をしました。

普仏戦争です。

彼は計算に計算を重ねて勝利し、その後のこともきちんと考えていました。

なんせただ単に勝っただけではなくて領地や賠償金までガンガンむしり取ったのですから、やられた方にとっては「この恨み、晴らさでおくべきか」という感じになるのは目に見えています。平たく言えば復讐です。

しかし、神聖ローマ帝国の時代から群雄割拠の続いていたドイツ周辺に、フランスほどの大国と何回もガチンコ勝負をする力はありません。

そこで、ビスマルクはフランスからの復讐を防ぐため、フランス以外の国と外交関係を強化します。

「ビスマルク体制」といわれる、ヨーロッパの数少ない平和な期間でした。

ビスマルクが失脚すると、これが崩れ始めます。

中でもまずかったのは、ロシアとの関係が悪くなってしまったことでした。

ビスマルクは「ロシアがバルカン半島へ行くのを邪魔しないから、フランスと手を組んでウチを攻めるのはやめてね」(超訳)という条約を結んでいたのです。

ロシアの方も異存はなかったので、ドイツに「ビスマルクいなくなっちゃったけど、ウチとおたくの関係はこのままよろしく」(超訳)と言ってきました。

ところが、です。

ビスマルクが去った後のドイツは「やっぱその話無しで」と、条約の更新を断ってしまったのです。

敵を減らすための条約を更新しなかったのですから、ケンカを売るも同然ですよね。

なぜ当時のお偉いさん方がそこに気付かなかったのか理解に苦しむ……というのは結果を知っている現代人だからですよね、サーセン(´・ω・`)

 

ベルギー使ってフランスへ!という短絡的思考が……

こうして西にフランス、東にロシアという敵を抱えてしまったドイツでは、なんとかするために計画を立てました。

考えた人の名を取って「シュリーフェン・プラン」といわれるもので、ざっと以下の通りで、

「ロシアとやりあうまえにフランスを倒せば問題ないよね!」

「でも真正面からじゃキツくね?」

「そうだ、ベルギーをちょっと通らせてもらって、フランスを挟み撃ちしよう!」

「何それ、いいじゃん!!」

これまた後世からすれば「なぜ成功すると思った?」と疑問ばかりが湧いてくる計画でした。かなり短絡的な思考とも見てとれます。

というのもベルギーが中立国であり、イギリスも絡んでいたからです。

イギリスはベルギーと「もしそっちが侵略されたら手を貸すよ」という約束をしておりました。

要は、ベルギーに攻撃をせずとも、侵略とみられる行動を取れば、ベルギーと同時にイギリスも敵に回すことになります。

ついでに、当時イギリス領だったカナダやニュージーランド、オーストラリアもです。

ものすごく乱暴に考えて、フランス・イギリス(+植民地)・ロシアと同時に戦わなくてはなりません。なんという無理ゲーよ。

ここで気がついていれば、ドイツのお偉いさん方も目が覚めたのでしょうが……残念なことに、上記の通り「フランス挟み撃ちは成功するに決まってる」と思い込んでいたので、事態は最悪の方向に進んでいってしまいました。

そしてサラエボ事件が勃発!

第一次世界大戦が始まり、ドイツは予定通りフランスと戦うことになります。

進軍するドイツ/Wikipediaより引用

 

近代化兵器のため戦いが長引くジレンマ

ここでもう一つの誤算だったのは、既に兵器の近代化が実用レベルになっていたことでした。

互いに自軍の損耗を防いで敵軍を攻撃するため、塹壕に隠れては隙を突くという気の遠くなるような戦いが始まります。

「すぐ終わると思ってた」戦争のはずが、いつまで経っても終わりが見えないグダグダ展開になります。

当然どこの国でも、国民の間に厭戦感情が高まりました。

ドイツの場合、上記の通りお偉いさんのお粗末な計画で苦しい目に遭っているのですから、反感どころか憎悪にすらなっていたでしょう。

そしてそれは、軍の内部でも同じことでした。

さらに、敵であるロシアで革命が起き、帝政が打倒されたことがドイツの一般市民や兵を勇気づけます。

こうして1918年の年明けから、ドイツ国内で大規模なストライキが起こるようになりました。

いい加減、敗色が濃くなってきたことを理解したドイツのお偉いさんたちも、同年9月末からアメリカと講和交渉を始めます。

そして10月末――。

なぜか「講和するためには、ドイツ皇帝の退位が絶対条件」という噂が流れ始めました。アメリカ側ではそんな要求はしていなかったそうなのですが、不思議なものです。

当然のことながら、ときのドイツ皇帝・ヴィルヘルム2世は退位を拒否しました。

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