こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【ドイツ革命】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
キールという町でデモが過激化 ついに占拠へ
国民や末端の兵はそんな細かいことは知りません。
そこで堪忍袋の緒が切れたドイツ海軍の兵たちが、対イギリス海軍の出撃命令をサボタージュ。
お偉いさんたちは当然「上官の命令に逆らうとはけしからん!」としか思いませんから、サボった兵をとっ捕まえてドイツ北部のキールという町に送ります。
キールにいた兵たちは、仲間が捕らえられたのを見て、「あいつらを許してやってくれませんか」と釈放を求めたのですけれども、「はいそうですか」とはいきません。
そして11月3日、キールの町で兵や労働者によるデモが行われました。
ところが、デモを鎮圧するためとして官憲が発砲してしまい、デモが蜂起へと過激化。
ついにキールは占拠されてしまいます。
戦争でも治安維持でも、力づくではうまくいかないケースのほうが多いですよね。
そればかりか、この流れによりわずか4日間でドイツ西部の都市が蜂起側のものになってしまいました。いかに同意した人が多かったか。
これがドイツ革命の始まりです。
9日にはベルリンでも労働者デモが起き、ヴィルヘルム2世はオランダへ亡命。
退位したのはもう少し後のことですが、自分の国から逃げておいて皇帝も何もないですよね。
戦争は終わった されど火種は残った
かくして「ドイツ帝国」は崩壊。
新しいドイツ(通称・ワイマール共和国)の代表が休戦条約に調印したことで、ドイツにとっての第一次世界大戦は終わるのです。
他の戦線ではそれぞれ別のタイミングで講和しているので、第一次世界大戦に関係する戦争が全て終わったのは、1924年のことでした。
が、このとき大きな問題を残します。
新しいドイツの代表は一枚岩ではなかったため、後にヒトラーらに「あいつらが勝手に降伏した!!」(超訳)と言われ、ワイマール共和国打倒のプロパガンダに利用されてしまうのです。
経緯や実情はさておき、ともかく「火種」を残してしまったんですね。
ものすごく乱暴にまとめるとすれば、「ビスマルクすげえ」ということになるでしょうか。
自身の後継者を育てられなかったという点においては多大な落ち度がありますけれど。
ともかくヒトラーを躍進させる土壌を作ってしまったのは歴史的な悲劇でしたね。
長月 七紀・記
【参考】
ドイツ革命/Wikipedia
第一次世界大戦/Wikipedia