「古都」という言葉は、それだけでロマンがありますよね。
日本では京都や奈良を指すことが多いですが、もちろん他の国にも千年単位の歴史を持った街は多々あります。
330年5月11日は、コンスタンティノープルが東ローマ帝国の首都になった日です。現在イスタンブールと呼ばれているところですね。
本日は、世界史上屈指の長きに渡って栄えてきた、この町の歴史を最初から見ていきましょう。
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最初に人が住み始めたのは紀元前7000年!?
この地に人が住むようになったのは、紀元前7000年ごろのことだといわれています。
本格的な街ができたのは、紀元前660年ごろ。ボスポラス海峡のアジア側にカドゥキョイ(カルケドン)という町ができました。
ほぼ同時期にギリシアにあった国のひとつ・メガラからの植民者が、海峡のヨーロッパ側にビュザンティオン(ビザンチウム)という町を作り始めています。
海峡を挟んで反対の位置、しかも同じ頃、後に同じ街となるものが作られ始めた……というのは面白い偶然ですね。
アケメネス朝ペルシア(中東~中央アジアにあった大帝国)やアテナイに占領されたこともありましたが、紀元前4世紀に一度自治を回復し、ビュザンティオンは発展を続けていきます。
その後、マケドニア王ピリッポス2世(アレクサンドロス大王のトーチャン)に攻められるも、ペルシア・アテナイの協力を得て撃退しました。
「ノウァ・ローマ(新ローマ)」では結局浸透せず
その後ローマ帝国の版図となりましたが、2世紀にローマ皇帝セプティミウス・セウェルスとの政争の結果、破壊されています。
再建され、さらに330年にローマ皇帝・コンスタンティヌス1世がこの地に遷都したことで、この地は本格的に繁栄していくことになりました。
コンスタンティヌス1世はビュザンティオンをローマ帝国の首都にふさわしい都市にすべく、大規模な建設を始めます。
創建者の名をとって「コンスタンティノープル」と呼ばれるようになったのはこれ以降のことです。コンスタンティヌス自身は「ノウァ・ローマ(新ローマ)」と呼んでほしかったらしいのですが、浸透しませんでした。カワイソス(´・ω・`)
むしろ、後世には旧称であるはずの「ビュザンティオン」からとって、東ローマ帝国を「ビザンツ帝国」と呼ぶようになっていきます。
コンスタン帝国とかでもいい気がしますが、それはそれで言いづらいですね。
十字軍により殺害、略奪、暴力
この時点でアヤソフィアなどの大規模な建築物が作られ、何万もの観客が入れる競馬場など、娯楽施設も築かれたといいます。
しかし、1202~1204年の第4回十字軍により、コンスタンティノープルは宗派が違うとはいえ同じキリスト教なのに略奪に遭い、住民の多くが殺害や性的暴力によって傷つけられました。
西ヨーロッパで広く信じられていたカトリックから見ると、東ローマ帝国のギリシア正教は「同じ宗教の違う宗派」ではなく、「異教」だったからだともいわれていますが……それで済ますのもなにか違いますよね。
このため、コンスタンティノープルを含めた周辺に一時「ラテン帝国」という別の国ができました。
しかし、脱出に成功した皇帝の一族によって東ローマ帝国が盛り返したので、ラテン帝国は短期間に終わり、もうしばらくコンスタンティノープルはローマの末裔として存続することになります。
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