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【メアリー・スチュアート】
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二人目の夫は殺されすぐに三人目と
メアリー・スチュアートは熱心なカトリック信者。当然ローマ教皇はエリザベス1世よりもずっと彼女のことを気に入ります。
「教会はメアリーこそ正当なイングランド女王であると認めます^^」と言ったことになり、さらに他国も同調し、メアリー・スチュアートは自信満々になるという悪循環が起きました。
そのためエリザベス1世を怒らせるようなことを度々やります。
二人の共通の親戚・ダンリー卿ヘンリー・スチュアートとの再婚もその一つ。彼もまたイングランドの王位継承権を持っていたのです。
後にヘンリーがとてつもなく傲慢な人だとわかると、メアリー・スチュアートが冷めていったため、あまり良い結婚ではありませんでした。
一応、後のジェームズ6世となる男の子が生まれはしたものの、両者の関係が改善することもなく、メアリー・スチュアートは愛人を作ったり、別の男性に惹かれたり、トラブルの種を蒔き続けます。
ヘンリーに対しては、メアリー・スチュアートだけでなく他の貴族たちも反感を持っており、彼は現在のエディンバラ大学で殺害されてしまいました。
これを機にボスウェル伯ジェームズ・ヘップバーンがメアリー・スチュアートにプロポーズ。
二人目の夫が殺されてからわずか数ヶ月で、彼女は三人目の夫を迎えることになります。
しかし、コトはそう上手くいきません。
「メアリー・スチュアートとジェームズが共謀してヘンリーを殺したに違いない!」
そう考える貴族たちもおり、反乱を起こされてしまうのです。
これに対しメアリー・スチュアートも兵を挙げましたが、反乱軍に敗れ、なんとイングランドに亡命します。
よくイザコザを起こした相手の下に逃げ込んだものです。頭が柔らかいってことですかね。
ちなみに子供は置き去りにされました、嗚呼(´・ω・`)
亡命先のイングランドで処刑され
メアリー・スチュアートは、命を助けられたからといって大人しくしていたわけではありません。
エリザベス1世の廃位を目論む物騒な陰謀に度々加担し、イングランド貴族達が先にプッツンしてしまいました。
物的証拠を集めた彼らは、正式に裁判をしてメアリーに死罪の判決を下します。
さすがに従姉妹でもあるエリザベス1世は死刑の執行命令を躊躇ったようですが、証拠があっては庇い続けることもできず、メアリー・スチュアートは処刑されました。
置き去りにされた男の子が後にスコットランド王になったため、スコットランドが直ちに滅亡するということがなかったのは不幸中の幸い。
ついでにいえばその頃エリザベス1世が独身のまま危篤になっていたため、その息子がイングランド王も兼ねることになります。
「カーチャンが一番欲しかったものが偶然息子の懐に転がり込んできた」
って、なんとも皮肉なオチですね。
イギリス名物・ブラックジョークとしても中々のものかもしれません。
長月 七紀・記
【参考】
『ラルース図説 世界史人物百科〈2〉ルネサンス‐啓蒙時代(1492‐1789)』(→amazon)
メアリー (スコットランド女王)/wikipedia