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【キャプテン・クック】
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酸っぱくて食えねーよ!→すんません、オラにも分けて
クックの時代には、イギリス海軍のお偉いさんが「野菜とか果物食べてるとならないっぽい」ということには気付いていました。
そこで「野菜の代わりにザワークラウトでも持ってけ」と言われ、クックたちもこれによって壊血病を防ぐことができたのです。
ザワークラウトというのは、酢漬けのキャベツのこと。ドイツ料理でよく付け合せになってますね。
なかなか強烈な酸味ですが、当時、長期間の保存に耐え、なおかつビタミンCが補給できる唯一の食品でした。
しかし船員たちは、その酸味を嫌がるものが多く、健康のためだといってもなかなか聞かなかったそうです。
そこで、クックはちょっとした工夫をします。
ザワークラウトを自分と船のお偉いさんだけに配り、いかにも大事そうに扱わせたのです。
人間、誰かが大事にしているものを見ると「どんなにいいものなんだろう」とうらやみますよね。
元々一介の船乗りだったクックも、そうした経験があったのでしょう。そこを突いたのです。
結果、一週間もしないうちに「自分たちにもザワークラウトをください!」という声が高まり、皆でザワークラウトを食べるようになりました。
そのため、クックの船では壊血病になる者が出なかったといわれています。
これは当時の長距離航海では奇跡とも言える偉業でした。
ただし、船の修理のために寄ったインドネシアで、マラリアや赤痢によって30人以上が亡くなっています。
最大の敵である壊血病を克服したクック一行にとって、まだ抗いきれない病気があるということは、どのように映ったのでしょう。
サンドウィッチ諸島と名付けたのはクック船長
その後、一度帰国したクックは、二回目の航海で南極圏に突入。
三回目の航海ではヨーロッパ人で始めてハワイ諸島へたどり着いています。
このときの後援者が第4代サンドウィッチ伯爵ジョン・モンタギューだったため、ハワイを「サンドウィッチ諸島」と名づけたとか。
ついでにいうと、ジョン・モンタギューは、パンの「サンドウィッチ」の語源の人でもあります。
クックっていろんな語源に縁がある人ですねえ。
ハワイの後はアメリカの西海岸の海図作成をしながら北上しながら、秋になったベーリング海峡を越えられず、ハワイへ引き返しています。
そうしたストレスが心身に溜まっていたらしく、クックはどんどん気難しくなっていってしまいました。
自分の考えに賛同しない者に当り散らすようになり、船の雰囲気はどんどん悪くなっていきます。
そしてそれは船内だけで収まらず、航海先の住民とのトラブルの原因にもなりました。
1779年、ハワイに滞在していたクック一行のボートが、住民に盗まれるという事件が起きました。
この手のトラブル自体は、人質をとって交換することでだいたい解決していたそうです。
しかし、ストレスが限界に達したクックは、いらん口論をして住民を怒らせてしまいました。
逃げようとしたものの時既に遅し。
クックは小船に乗り込もうとしたところを殴られ、転んだところを槍で突かれて殺されてしまったのです。
毛利衛さんが乗ったエンデバー号もクック船長の船名
その後、現地の宗教上の理由で、クックの遺体はかなり悲惨な目に遭っています。
一部は返還され、海軍のしきたりによって水葬されたそうですが。
クックの死後は航海も振るわず、残された船員たちは1年半ほど後に帰国しました。
しかし、クックの名はイギリスやオーストラリア、ニュージーランド他の地名、はたまた月のクレーターにまでつけられ、偉業は人々の記憶に深く残りました。
一番有名なものでいうと、毛利衛さんなど、日本人が多く乗っていることで有名なスペースシャトルの「エンデバー号」ですね。
クックが乗っていた船の名前をとったものです。
「人間が行ける限界まで行きたい」
そんなクックですから、現代にいたら、きっと宇宙飛行士を目指したのでしょう。
深海も宇宙と同じくらい謎に満ちているといわれますから、水葬された海の底から、地上や宇宙を見つめているのかもしれません。
長月 七紀・記
【参考】
ジェームズ・クック/wikipedia