キャプテン・クック

キャプテン・クック/wikipediaより引用

イギリス

ジェームズ・クック船長の終わりなき旅 「人間の限界までオレは行く」

冒険――。
って、言葉だけでワクワクしますよね。

もちろんガチの冒険だと、実行に移すだけで命がけですが、今回は世界の海を巡ったとある人物に注目です。

1728年(日本では江戸時代・享保十三年)10月27日は、後にイギリス海軍の船長になったジェームズ・クックの誕生日です。

名前からして何となく「フック船長」を連想する方もいらっしゃるかと思うのですが、調べてみたところ特に元ネタというわけでもないみたいですね。

それどころか、海賊やならず者とは真逆の人です。肖像画は結構いかめしい感じですが。

さっそくクック船長の生涯を追っていきましょう。

 

スコットランド生まれのクック船長

クックは、スコットランドのノース・ヨークシャーというところで生まれました。

学校を出た後は父親と同じ農場で働き、16歳で家を出て、漁村の雑貨店に住み込みで働くようになります。

が、1年半ほど経つと、雑貨店の主に「クック君はお店に向いてないなあ(´・ω・`)」と言われてしまい、職を変えることになります。

ネガティブなものではなく、むしろクックの運命を変えるきっかけになりました。

店主は港町の商家にクックを紹介。

その家で見習い船員として勉強と仕事をすることになりました。

どちらもマジメにこなしたクックは、27歳の頃には貿易船の航海士になるほど知識と経験を積んでいます。

航海士というのは海の上で船が今どこにいるのかを調べたり、航海計画を立てる重要な仕事です。

この職名でググると、まっさきに海上自衛隊の一等~三等航海士のことが出てくるのですが、たぶんクックの時代はほとんどの仕事を一人でやっていたでしょうね。

船の大きさがわからないのではっきりとはいえないですが。

さて、そんな感じで海の男になったクックの元に、とあるニュースが聞こえてきます。

イギリス海軍が、軍備増強を図っているというのです。

ここでちょっと、当時の世界情勢をまとめておきましょう。

 

各国の思惑が複雑に入り組んだヨーロッパで

当時のヨーロッパは【オーストリア継承戦争】が終わったところでした。

もともとはプロイセンその他ドイツ周辺の国が「マリア・テレジアの神聖ローマ帝国帝位継承は認めませんwww」とイチャモンをつけて始まったものです。

敗北したオーストリアは、奪われた領地を取り返すため外交・軍備を進めています。

イギリスは、オーストリア継承戦争のときにオーストリアに味方していたのですけれども、その後の情勢を見て「次はプロイセンにつくか」と考え始めました。

たった数年でよく敵と味方を入れ替えられるものですよね。

まぁ、同時期にインドや北アメリカでフランスと戦争をしていたので、その辺の影響もありました。

フランスはイギリスと逆に、当初プロイセンに味方した後、オーストリアについています。節操がないとしか見えませんが、ヨーロッパの戦争ってだいたいそんな感じなので仕方がありません。

おそらくクックも、こういった世界情勢を聞き知っていたのでしょう。

そしてイギリス海軍に入ったクックはここでも真面目に働き、2年で航海長試験に合格しました。

当時の航海長というのは軍艦の操作を専門に行い、兵や将を戦闘に専念させるというとても重要な仕事です。

民間から軍に入って2年で、いわば船の命綱を任されたという感じですね。

そして戦争が始まると、測量や海図作成の腕を買われ、危険な海域での海図作成を任されます。

 

「人間が行ける限界まで行きたい」

戦争中に海図作成というのも悠長だなぁ。

という気がしないでもありませんが、戦略上重要になるので作らないわけにもいきません。

このときクックが海図作成に挑んだのは、現在カナダ領になっているニューファンドランド島という島の周辺でした。

現代の地図でもめまいがしそうなほど複雑な海岸線の島ですし、夏は「世界で最も深い霧」とまでいわれるようなところです。

RPGだったら、隠し召還獣や裏ボスがいるか、二周め以降のエンディングのフラグ回収とかの舞台になりそうですね。

この困難な仕事をクックは5年かけてやり遂げました。

「人間が行ける限界まで行きたい」

そんな風に語っていたそうで、その言は後々実現することになります。

ニューファンドランド島その他の測量を行ったことで、海軍その他イギリスのお偉いさんの目に留まり、海上での天体観測や未知の大陸探索を任せられたのです。

当時ヨーロッパでは「南太平洋には巨大な大陸があり、巨万の富が眠っている」と信じられていました。

国土の乏しいイギリスにとって、他国より先に土地や資源を見つけるのは彼岸と言っても過言ではありません。

先に乗り込んで軍を送っておけば、たとえ他の国がやってきたとしても、戦争でどうにかなりますしね。

本当にだいたいそんな感じで植民地広げてますし。(※ただしアメリカは除く)

そしてクックは見事、南太平洋で陸地を見つけます。

ただしそれは大陸といえるほどの広さではありませんでした。

現在のニュージーランドやタスマニア島です。

 

カンガルーと名付けたのもクックだった!?

タスマニア島からすぐ近くのオーストラリアにも降り立っていました。

が、オーストラリアが大陸であることは気付いていなかったようです。アボリジニ(オーストラリアの先住民族)と接触しているので、わかりそうなものですけどねえ。

ちなみに「カンガルー」という言葉が英語に入ったのも、クック一行の調査中のことだったそうで。

”英語で「あの動物は何だ?」と聞いたら、アボリジニが「アンタの言葉わからないよ(´・ω・`)」という意味で「カンガルー」と言ったところ、「そうか、カンガルーっていうのか。おk!」”という話です。

俗説とも言われていますが、カンガルーという言葉がクックの時代に英語になったことは間違いないのでしょう。

その他、同行していた学者たちによって、オーストラリアのさまざまな動植物の標本採集などが進められています。

この航海で、クックはもう一つの偉業を成し遂げておりました。

長期航海の第一の敵は天候の悪化ですが、栄養学が未発達だった当時、もう一つの大敵がありました。

ビタミンC不足で起きる「壊血病」という病気です。

皮膚や骨の回復・保持ができなくなるので、皮膚や粘膜・歯茎から出血したり、傷の治りが悪くなる・古傷が開く、貧血になるなどの症状。

地味にダメージを受け続ける感じで、放っておけば命に関わります。

ただし、ビタミンCを採れば回復が容易な病気でもありました。

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