本物の大航海時代に海のオトコたちを恐怖のドン底におとしめた病気があったのをご存知でしょうか?
その名も壊血病です――。
原因不明だった当時、この病気は海賊なんて目じゃないヤバさでした。
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歯が抜け落ち倦怠感と共に死に至る壊血病
15世紀半ば、ヨーロッパ人は勢力を世界に拡げていきました。
ご存知、大航海時代の幕開けです。
大航海だんなんて申しますと非常に冒険心に富んだ響きですが、実のところ当時の航海環境は劣悪だったため、生存者より病死者が多いなんてことはザラ。
海賊よりも恐れられていた病がありました。
それが壊血病(かいけつびょう)です。
航海が長期になると発生する致死率の高い病気で、しかも当時は原因不明ですから怖いなんてもんじゃない。
症状は皮膚や粘膜、歯茎などの出血から始まり、 消化管や尿路から出血することも。
病が進行すると歯が抜け落ち、さらには倦怠感が強くなって免疫力が落ち、やがて死に至ります。
バスコ・ダ・ガマの大航海 帰国できたのは
バスコ・ダ・ガマのインド航路発見の航海も、その例外ではありませんでした。
1497年7月8日大勢の観衆が見守る中、ガマ一行はリスボンを出発。
11月22日、アフリカの南端・喜望峰を通過して、12月17日に過去の艦隊が到達した最遠地インファンテ川まで進みます。
リスボン出発から5ヶ月、この頃から壊血病で命を落とす船員が出始めます。
翌年の5月28日、ガマは13人の部下を率いてインドに上陸。
8月29日にインドを離れるのですが、この間、人質とってドンパチやったことはサラリと流して先へ進みました。
風の向きが悪かったため復路は時間がかかり、その間に乗組員は壊血病でバタバタ死んでいきます。
そして1499年9月。
航海開始から2年2ヶ月でリスボンに戻ったとき、当初147名いた乗組員は55名となっておりました。
もちろん全員が壊血病で亡くなったわけではありませんが、かなりの割合だったと思います。
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