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【フランシス・ドレーク】
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THE・外道!火船を敵のド真ん中に突撃させる
国家公認の身になったフランシスは、ねぐらだったプリマス市の市長になるなど政治的な働きもしました。
が、イギリスとスペインの関係がいよいよきな臭くなってきたため、海z……ではなく海軍のほうに力を注ぎます。
そして小競り合いでスペイン海軍の弱点を分析しつつ、司令官チャールズ・ハワード・エフィンガムという貴族と連携しアルマダでの勝利を収めるのです。
このときフランシスが乗っていた船がそのものズバリの「リベンジ号」だったというのがまた何とも。殺る気ありすぎやろ。
スペインが帆船を主力としていた事に対し、イギリスは小型のガレオン船による機動力で優位に立ったといわれていますが、実はその他に「火をつけた船を敵のド真ん中に突撃させる」というまさに外道な戦法も使っていました。
さすが海賊。三国志の赤壁の戦い(※ただし事実は不明)でも似たようなことしてましたね。案外こっちが元ネタで、後世になってからくっついたのかもしれません。
スペイン海軍に殺されかけたのが1568年ごろで、アルマダの海戦が1588年ですから、約20年越しの復讐を果たしたわけです。
長連龍もビックリだ。
赤痢のためパナマ近海で死亡
こうしてスッキリしたフランシスでしたが、軍に入ったからにはこれで終わりとはいきません。
さすがに常勝とはいかず、新大陸付近では負けたこともあります。そして1596年、パナマ近海で赤痢により亡くなりました。
赤痢にも細菌性とアメーバによるものがあるのでどちらだったかわかりませんが、臨終間際は高熱のせいか錯乱状態だったそうです。
そのためか、鉛の棺に入れられた上水葬という功労者に対するものとは思えない葬られ方をしています。
時代は違うものの、同じくイギリス海軍の英雄として有名なホレーショ・ネルソンがラム酒に漬けられてまで遺体を持ち帰られているのと比べると、あからさまに扱いが違いますよね。
鉛が棺に使われること自体は珍しいことではなかったようですが、占星術的には魂を封じ込めるという意味があるようなので、もしかすると発狂したフランシスを封印するという意図があったのかもしれません。
彼の棺は現在も捜索されていますが、まだ発見されていません。
どんな意味があったにしろ、見つかったときにはきちんと改葬されることを祈るばかりです。
長月 七紀・記
【参考】
フランシス・ドレーク/wikipedia
アルマダの海戦/wikipedia