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【北欧の歴史】
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②デンマーク・スウェーデン・ノルウェーの同君連合時代
一方、本国では、12世紀頃からお互いの王位継承権を巡ってドンパチの絶えない時代になっていました。
特定の国々同士で争っていたので、南の中央ヨーロッパへ進出するヒマはなく、その結果、教科書にはほとんど登場しなくなってしまったわけです。別に日本の教科書のことなんぞ知ったこっちゃないと思いますが。
この状態をなんとか取りまとめたのは、14世紀のマルグレーテ1世という女性でした。
彼女はデンマーク王家の生まれ&ノルウェー王家に嫁いだという自らの立場を最大限に利用。
まず実家のデンマークで父王が亡くなったとき、跡継ぎの王子がいなかったので「じゃあ私の息子がデンマークの王様になればいいですよね!血は繋がってるし!」ということで自分の息子であるノルウェー王子(※5歳)をデンマークの王様にします。
さらに今度は「ノルウェーの王家に生まれたんだから、この子がノルウェーの王様になるのは当たり前ですよね!」と言い出し、幼い息子にさっそく二足の草鞋を履かせました。
教育ママってレベルじゃねーぞ!
残念ながらこの息子は17歳で亡くなってしまうのですが、それまでマルグレーテ1世が摂政をやっていたので「もうアナタが女王様でいいですよ。前例ないけど仕事デキるし」という流れになります。
そしてマルグレーテ1世は親戚の男の子でもう一度同じようなことをやり、今度はスウェーデンとの戦争に勝って「ウチが勝ったんだから、ウチの親戚がスウェーデンの王様になってもいいですよね?^^」と言い出します。
無茶苦茶に見えますが、無理やり相手をブッコロしたりしてないので、この時代としては穏やかなほうです。
彼女は見事この無茶振りを成功させ、デンマーク・スウェーデン・ノルウェーの3カ国はここから200年ほど、同じ王様を戴くことになりました。
途中反乱や虐殺は何度も起きています。
が、南のほうではペストが大流行してたり百年戦争が始まっていた頃と考えると、まあまあ平和な時代といえましょう。
③同君連合の終わり・他地域との戦争と各国の独立
再びキナ臭くなってくるのは16世紀のこと。
南の隣国・ドイツ(当時は神聖ローマ帝国)でルターが「カトリックの坊主どもは私腹を肥やしていてけしからん!」(超訳)と言い出してからでした。
そうです。プロテスタントが興り始めたのです。
北欧では、これをきっかけとしてカトリック寺院の権力をそぎ落とそうとする動きが始まります。
宗教的にどうとかそういうことではなく、世俗の権力に目をつけたのが現実的というかなんというか。
そこから起きたイザコザを機に、同君連合だった3カ国の間でデカイ戦争が勃発。
ご近所のエストニアやポーランド・リトアニア(この頃は王様が同じ)を巻き込んだり、16世紀には逆に三十年戦争に首を突っ込んだりしてややこしくなってきます。
この流れの中でノルウェーは独立を試み、デンマークとの戦争に負けて失敗。
一地方扱いに格下げされてしまい、しばらくの間ハンケチを噛むような思いをすることになります。
デンマークとスウェーデンの間で戦争になったときには割譲されているくらいですから、相当悔しかったでしょうね。
1814年の独立宣言はこのときスウェーデンに割譲されることを拒んだためで、結果的には失敗、1890年代から再び独立の気運が高まります。
そして経済面など諸々の準備を整え、国民投票で独立への圧倒的賛成を取り付けた後のことでした。
再び「独立したいんですけど」と申し出た結果、スウェーデンからあっさり了解を取り付けることができたのです。
スウェーデンはナポレオン戦争以降の国際戦争に直接参加しておりません。
「帝国主義何それおいしいの? ウチはうまくいってるからどうでもいいんですけど」という雰囲気で、ノルウェーに対してあまり執着心がなかったようです。
19~20世紀にかけて独立した国は多いですが、このときのように血を流さずやってのけたところはそうそうありません。
もしかすると、この辺が北欧=平和のイメージに繋がっているのかもしれませんね。
ネット上では結構お互いの悪口がスゴイようですが、それはどこの国も同じでしょう。
なお、フィンランドの歴史については以下に別記事がございますので、よろしければ併せてご覧ください。
北欧フィンランドってどんな国? 欧州列強の狭間で揺れ動いた歴史
続きを見る
長月七紀・記
【参考】
北欧史/wikipedia