リスボン攻防戦

リスボン攻防戦/wikipediaより引用

ポルトガル

レコンキスタの分岐点「リスボン攻防戦」そして大航海時代へ※250年後

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第4回十字軍をキッカケに国々が手を取り合う

現在のスペインにあたる地域は、もう少し時間がかかっています。

ムスリム側が東方へ目を向けていたことと、キリスト教側が一枚岩になれなかったからです。世界史の戦争ってだいたいこんなんですよね。

キリスト教側が盛り返したきっかけは、第4回十字軍でした。

本隊は「物資と金ほしさに、同じキリスト教徒の都であるコンスタンティノープルで略奪を働いた」という世界史上屈指の汚点を残しますが、イベリア半島へ向かったキリスト教徒の戦士たちは、レコンキスタの重要な戦力となりました。やればできる子。

こうしてようやくイベリア半島の国々も手を取り合う気になり、キリスト教連合軍は6万を超える大軍になりました。

ちなみに、この時点で西ゴート王国が滅びてから500年近く経っています。本気になるの遅すぎるやろ。

しかし、一度勝った後はまたしても各地で内乱が起きます。

王様が亡くなってしまった国がいくつかあり、内乱スレスレまで荒れてしまったのが原因なのですが……何でそうなる(´・ω・`)

他の国はイスラムとの戦いを続けたものの、そもそも頭数が減ってしまったのでうまく行きませんでした。

こうして10年ほどのgdgd期間ができてしまいます。

 

内紛やらなんだかんだで更に250年グダグダだったけど

といっても内乱スレスレだったのはムスリム側も同じで、一度大敗したことにより求心力を大幅に弱めていました。そしてイベリア半島でのムスリム勢力は小国乱立状態となります。

チャンス! とばかりにキリスト教側は各地を攻略。

とはいえムスリム側もまだまだ頑張り、イベリア半島南部のグラナダにナスル朝を興して抵抗しました。

グラナダは今でこそアルハンブラ宮殿で有名な観光地ですが、当時は山に囲まれた要害、かつ畑も多く、長期戦に向いた土地だったのです。

ただでさえ攻めにくいのに、ここにきてまたキリスト教側はそれぞれの海外進出や自国の生存戦略など、好きなことや内紛をやりだしたので、さらに250年ほどレコンキスタは長引きます。

なんで「一つずつ片付けよう」と思わないんでしょうね。

そんなこんなで15世紀の後半になって、ようやくレコンキスタの中心となっていたカスティーリャ王国がまとまり、スペイン王国となりました。

その三年後にグラナダで内乱が起き、今度こそレコンキスタ最後の戦いが始まります。

約10年かけてナスル朝を攻め滅ぼし、ようやくレコンキスタは完了。

よくこの混乱に乗じて他の国に滅ぼされなかったものですね。他の国も似たような状況で常に争っていたので、ある意味運が良かったかもしれません。百年戦争とか。

この後、ポルトガルやスペインは大航海時代に乗り出し、続いて世界史が大きく動いていくことになります。

教科書だと時系列を優先するので、他の国の話が間に入りますが、実はレコンキスタの直後が大航海時代です。

異教徒とドンパチやってて、すぐに海外に行く……というのもスゴイ話ですのぅ。

まあ、明治維新以降の日本も似たようなものですが。

長月 七紀・記

【参考】
リスボン攻防戦/wikipedia
レコンキスタ/wikipedia

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