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【エンリケ航海王子】
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1452年にはポルトガル初の金貨も
その後は主にアフリカ西海岸の探検を進めさせ、1444年にサハラ砂漠の南端にたどり着いたという報告を受けます。
これによって、キャラバンを経由せずに南アフリカ地域との交易をすることができるようになりました。
偉業を成し遂げたのは、後に喜望峰を発見するバルトロメウ・ディアスの父、ディニス・ディアスです。
ディアス家は三代に渡ってポルトガル王室の航海事業に取り組んでいて、バルトロメウの孫はアンゴラ総督として現地に渡っています。
「名家」とはちょっと違うかもしれませんが、代々優秀な一族だったんですね。
南アフリカ地域と直接交易ができるようになったおかげで、1452年にはポルトガル初の金貨も作られています。
その頃のエンリケは内政で忙しくしていましたが、ヨーロッパ屈指の名門・コインブラ大学に天文学の講座を作らせるなど、将来の航海・冒険に対する下準備も行っていました。
後々、イエズス会の宣教師がここで天文学を学んだりもしています。
将来の国益を考えて政治を行えるというのは、なかなかできないことですよね。
最初から軍事より内政に集中してたほうが良かったんじゃないか、とかツッコむのはやめておきましょう。
私生活に関するスキャンダル等が伝わってないことからして、エンリケは真面目な人だったんでしょうし。
西アフリカのシエラレオネまで到達 その180年後に日本へ
当初の目的の一つである「未知のキリスト教国との同盟」はできませんでした。
が、引き続きアフリカ西岸に船団を送っており、エンリケの存命中にポルトガルの船はシエラレオネまで行っています。
ちょっと場所を説明するのが難しいのですが、アフリカ西海岸にある国です。
現代では「最も平均寿命が短い国」としても知られていますね……。
エンリケは、自国船団のシエラレオネ到達を見届けるかのように、同じ年のうちに亡くなりました。
66歳でしたので、当時としては長生きなほうでしょう。
彼が守り立てたアフォンソ5世の息子・ジョアン2世がエンリケの航海事業を引き継ぎ、ポルトガルは大航海時代へ乗り出していくことになります。
そして180年ほど後、日本にも鉄砲やキリスト教とともにヨーロッパ人がやってくる事になるのです。
彼らが多くの渡航先でやったことを考えると「素晴らしい」と言い切れないところもありますが、「世代を超えた大事業」って胸アツですよね。
それを成し遂げるのを見届けた当時の人々も、きっと同じ気持ちだったんでしょうねえ。
長月 七紀・記
【参考】
エンリケ航海王子/wikipedia