地球のどこに陸地があり、海があり、どんな国があるか――。
今でこそ広く知られていますが、それでも前人未踏と称されるところはありますよね。
大昔となればそれに該当する地域はもっと広いわけで、リアルRPGな状況。
それを次々に開拓していったのが大航海時代です。
1497年(日本では明応六年)11月22日に、ポルトガル人のヴァスコ・ダ・ガマがアフリカ大陸最南端の喜望峰を通過したのもその一環です。
コロンブスやマゼランに比べると若干知名度は低いですが、名前のインパクトから覚えている方もおられるでしょうか。
まずは彼の出身・ポルトガルの状況から見て参りましょう。
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ポルトガルとスペインはなんで言葉が違うのか
ポルトガルを語る上で欠かせないのがスペイン。
なんせ同じイベリア半島の国です。
かつては半島丸ごとローマ帝国の版図で、ローマが滅びるとイスラム教徒との戦いが始まり、その間に後のスペインとなったカスティーリャ王国と、ポルトガルの前進になるポルトゥカーレ伯爵領に分かれ、イベリア半島には似て非なる二つの国ができました。
今でもポルトガル語とスペイン語は「どちらかわかれば、もう一方も大体通じる」程度に似た言語だそうで、その辺の事情はこうした歴史的経緯によるものなのでしょう。
むしろ隣同士のくせに、全く異なる言語のほうが不思議かもしれません。
例えばフランス・イタリア・ドイツとか。
自分は行かない「エンリケ航海王子」
そんなワケで独立国家になったポルトガル。
タイミングの悪いことに、ペストが大流行したり、同盟国イギリス(イングランド)の戦争に巻き込まれたり、あまり自国の版図や収入を増やすことができません。
しかし、エンリケ航海王子と呼ばれる王子様が音頭をとります。
「海外行こうぜ! オレ船酔いすごいから自分で行けないけどよろしくな!」(超訳)
かくして15世紀から積極的に海外へ進出していくようになるのです。
喜望峰を見つけたのはバルトロメウ・ディアス
最初に喜望峰を見つけたのはヴァスコ・ダ・ガマ……ではありません。
先輩にあたるバルトロメウ・ディアスという人でした。
インドへの新しい航路を開くため、はるばるアフリカを大回りしていたのですが、途中で嵐に遭いやむなく引き返しています。
実に13日もの間、漂流していたそうですから、船体の損傷も激しかったことでしょう。
彼はその付近について「アフリカ最南端のあたりは”嵐の岬”になっています」という報告をします。
ところがなぜか「岬があるってことは航路があるってことだな!めでたい!!」とテンションうなぎ上りになった当時の王様・ジョアン2世が”喜望峰”というものすごく前向きな名前をつけたのでした。
さすがラテン民族だけにプラス思考がパネェです。
とはいえ航路の目星はつきながらも、この時点では実際に確定させたわけじゃない。
喜望峰とハッキリ明確にわかる地点を最初に通過したのがヴァスコ・ダ・ガマだったのです(TOP画像が喜望峰です)。
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