第一回十字軍

エルサレムの戦い/wikipediaより引用

戦争

唯一勝てた第一回十字軍!イスラム・キリスト・ユダヤ教はなぜ争い続けた?

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1週間程度の市街戦で7万人以上が殺される!?

こうして始まった第一回十字軍

その足跡はお世辞にも素晴らしいとはいえませんでした。

戦争なんて、もともとロクでもないもんですけども、「これはひどい」としか言えないような記録がいくつも伝わっています。

そもそもエルサレムに着くどころか、地元のユダヤ人から金とモノを奪い取ることから始めた一団もありましたし、助けを求めてきた東ローマ帝国(※キリスト教国家)で暴れたヤツらもいましたし、現地に行ったら行ったで、比喩でもなんでもなく虐殺をしまくりました。

イスラム側の記録によると、たった1週間程度のエルサレム市街戦で、実に7万人以上の人が殺されたそうです。

神道や仏教みたいに「血=穢れ」とか「殺生ダメ絶対」という概念がないとはいえ、非戦闘員もわんさか含んでのこの数字、蛮行としかいえません。

ちなみにイスラム教では基本的に「税金を多めに払えば他の宗教でもおk」ということになっていたので、当時のエルサレムにもユダヤ人がたくさんいました。

当然のことながら、犠牲者の中にはユダヤ人が大勢います。

十字軍によって斬首されるユダヤ人(中段)や、流れ出る血の海が描かれているた写本挿絵(1200年頃にイギリスで描かれ14世紀にスペインで写された)/Wikipediaより引用

 

あっという間に、エルサレムは再びイスラム教徒のものに

さらに悪いことに、

「エルサレムがキリスト教徒のものになったぞ!」

という知らせを受けてテンションの上がりすぎたヨーロッパの人々が、我も我もといわんばかりに地元のユダヤ人たちをこれまた虐殺しにかかりました。

しかも「金とか汚らわしいからユダヤ人に扱わせようぜw」と言って金融業等を押し付けていたくせに、それで儲けだしたユダヤ人については「あいつら汚らわしいくせに贅沢しやがってムカツク! ブッコロ!!」という屁理屈つき。

もう、どうしようもありません。

当然のことながら生き残ったイスラム教徒もユダヤ教徒も「キリスト教徒サイテー! 絶対エルサレムは渡さないかんな!!」と息巻くこととなりました。

そのため、第一回十字軍は成功したものの、あっという間にエルサレムは再びイスラム教徒のものになりました。あーあ。

そして第二回以降の十字軍が起こるわけですが、全部失敗します。

だいたいの場合、資金不足だったり、参加国同士でのイザコザが原因です。

「聖地だから取り戻したい」ということは十分理解できるのですけれども、国益やカネがどろどろし過ぎるのもどうかと思うんですよね。まぁ、王様が絡むと仕方ないことではありますが。

長月 七紀・記

【参考】
『まんが パレスチナ問題 (講談社現代新書)』(→amazon
第1回十字軍/Wikipedia
エルサレム攻囲戦 (1099年)/Wikipedia

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