清仏戦争

清仏戦争「ランソン攻勢」/wikipediaより引用

フランス 中国

清仏戦争は超グダグダで天津条約へ 清とフランスが得たもの失ったもの

1885年(日本では明治十八年)6月9日は、天津条約が結ばれ清仏戦争が集結した日です。

清が西洋と行った戦争――。

というとイギリス相手のアヘン戦争を思い浮かべますが、実はフランスともやりあっていました。

しかし、そのきっかけは中国ではなく、隣国ベトナムでした。

 

ベトナムを植民地とすべく宣教師を派遣していたフランス

フランスはベトナムを植民地にするため、カトリックの宣教師を送り込んでいました。

カトリックに改宗したベトナム人も少なからずいたのですが、政府や皇帝は宣教師たちを胡散臭く思って嫌がります。

大航海時代に同じ手でアジア諸国がやられていますから、警戒するのも当然のことですよね。

その後しばらくフランスは、アヘン戦争やアロー戦争によってイギリスと共に清(中国)に手を出していたので、ベトナムへのちょっかいを一時取りやめました。

その辺が一段落した後、今度はスペインと共にベトナムをつつき始めます。

ベトナムの結束は強固で、三年かかってもフランス・スペイン軍は勝てません。

最終的にはフランスが勝ったものの、戦死者を1,000人出しています。

もしかすると、このせいでフランスはベトナム獲得に躍起になってしまったのかもしれません。

アジアに広い版図を持ったフランスは、ベトナム―中国間の道を整備して、経済を潤そうと考えました。

しかし、中国南部の軍閥・黒旗軍が高額な通行料を要求したため、計画は頓挫。

さらにフランス海軍士官アンリ・リビエールがハノイで現地調査の途中、独断で砦を占領するという荒業に出ました。

さほど経たないうちに砦はベトナムに返されたのですが、こんなことをされて「はいそうですか」となるわけもなく、きな臭い空気が続きます。

 

宗主国・清に救援を求めるも……

既に兵力を消耗していたベトナム。

単独で仏国には立ち向かえず、宗主国の清に救援を求めます。

清も既にボロボロですが、黒旗軍が代わりに対応します。

黒旗軍と清政府は敵対していたものの、清としても宗主国ですから、属国のピンチに「ウチもう力がないから無理」とはいえず、黒旗軍に武器や資金を援助したのです。

日本史で例えるとすれば、元寇のときの日本側が「幕府軍」と言いつつ、実態は九州の御家人が中心だった……というのと似てますかね。難しいですね。

1882年には清からも兵が派遣され、ベトナム各地に駐屯するようになります。

一応、清に滞在していたフランス公使は清と協定を結び、平和的に解決しようとしました。もう一方の当事者であるベトナムに無断だったのはいただけないところですが。

しかしフランス軍の方では「公使のヤロー軟弱すぎw」(超訳)としか思わず、1883年から進撃を再開。

連戦連勝を重ねるうち、フランス本国でも「公使はすっこんでろ! 軍はそのまま突き進め!!」(※イメージです)というスタンスの新政権ができてしまったため、講和とはなりません。

清軍は黒旗軍を説得して協力してもらい、一時的にフランス軍を撃退しました。

が、フランスから援軍が派遣されると簡単には済ませられなくなってしまいます。

しかも、フランスの援軍が来たあたりでベトナムの皇帝が崩御してしまったため、ベトナム軍は大混乱に陥り、降伏せざるを得ない状況となるのでした。

 

「フランスがアジアの弱小国に苦戦してるんだってさwww」

このときの戦いでは黒旗軍が粘り、フランス軍もただでは済みませんでした。

ヨーロッパにも伝わり、

「フランスがアジアの弱小国に苦戦してるんだってさwww」(超訳)

という悪評が広まってしまいます。フランス政府はこれに焦り、指揮官を交代させました。

黒旗軍も川の氾濫によって陣地を替えざるを得なくなります。

ここでフランスは、再び清との単独講和を検討しました。

が、またも頓挫。清でも攘夷運動が強くなり、広州などの開港地でフランスを含めたヨーロッパ商人への襲撃事件が多発します。

この状況では清も軍を退けませんし、西洋諸国は自国民保護のため軍艦を派遣せざるをえません。つまり、講和とは程遠い空気になってしまったわけです。

こうしてフランスは清との全面対決を視野に入れ、根回しを始めました。

一つのターニングポイントなったのが、ハノイの西で起きた【ソンタイ川の戦い】です。

この戦いでは、清軍やベトナム軍もいたのですが、主力は黒旗軍だったため、黒旗軍vsフランス軍という構図。

結果、フランス軍の一部がハノイへ進撃し、黒旗軍は後方へ撤退することになります。

双方多くの損害を出し、黒旗軍は、積極的に参戦しなかった清軍やベトナム軍に腹を立てました。

黒旗軍3,000に清軍・ベトナム軍が加われば、数の上では有利になるはずだったからです。

このため黒旗軍のトップがへそを曲げてしまい、以降戦いを避けるようになります。

ってそりゃ、当たり前ですよね。

せっかく援軍として来たのに、肝心の地元軍がロクに働かないのでは、やる気など出るワケがありません。

ベトナムは、せっかくの味方を自分で減らしてしまったことになってしまうのでした。

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