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【イヴァン3世(イヴァン大帝)】
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西にリトアニア 東と南に大オルダ
大きな目標を掲げたところで、次は対外戦争です。
当時のモスクワ大公国は、西にリトアニア大公国、東&南にジョチ・ウルス(チンギス・ハーンの長男の国)系国家の大オルダという大敵に挟まれた状態でした。
イヴァン3世は現在のクリミア半島周辺にあったクリミア・ハン国と同盟を結び、両方の敵を順に攻略していくことにします。
特に大オルダは何度もモスクワに攻め込んできており、対策が急務。
1480年には大オルダが本格的な遠征をしてきたものの、イヴァン3世はモスクワの南方を流れるウグラ川で渡河を防ぎ、大オルダ軍を退却させています。
渡河戦が難しいのはどこの国でも同じですね。
この勝利は、モスクワ大公国だけでなくルーシ一体が「タタールのくびき」と呼ばれるモンゴルの支配から脱するきっかけとなりました。
イヴァン3世は対モンゴル外交もうまく利用しています。
ジョチ・ウルス系のもう一つの国であるカザン・ハン国で後継者争いが起き、負けたほうの皇子ムハンマド・アミーンがモスクワに逃げてきたことがありました。
これを好機と捉え、イヴァン3世は政権を作っていたハン・イルハム皇子を滅ぼして、ムハンマド・アミーンをハン(モンゴル系国家の王様のこと)の位につけたのです。
当然ムハンマド・アミーンは感謝感激雨あられなわけで、以降彼はイヴァン3世の同盟者となりました。
モスクワ大公国にとっては、東方の脅威がほぼなくなったことを意味します。
とはいえ、モンゴル諸国へのあいさつや贈り物はまだ続けていました。
せっかく敵が減ったところで、またケンカを売っては元も子もないからですからね。
ついにリトアニア大公国との戦争が勃発
こうして西方対策に集中できるようになったイヴァン3世は、いよいよリトアニア大公国と対決していきます。
当時のリトアニア大公国はポーランド王とリトアニア大公を同じ人が兼任しており、強国の一つ。
しかし、当時の王様が亡くなったとき、一時的にこの二つが別の王子に引き継がれ、同君連合が解消されています。
イヴァン3世はこの機に乗じてモスクワ西方の町・ヴャジマを占領、リトアニア大公国から「全ルーシの君主」という称号を認めさせるほか、領地も割譲させました。
イヴァン3世の娘エレナとリトアニア大公アレクサンデルの結婚も行われているため、この時点では荒っぽい方法以外も考えていたようです。
しかし、ここでリトアニア大公国内の事情が両国の関係に影響してくることになります。
リトアニア大公国は元々正教徒の国だったのですが、徐々にカトリック勢力が強まってきていました。
そのため、リトアニアの貴族の中には「それだったら、モスクワ大公国についたほうがいいんじゃね? あっち正教徒だし」(意訳)と考える者が出てきはじめ、実際に臣従する者も現れたのです。
宗教問題はいつの時代も火種になるもの。
こうして、再び【モスクワ大公国vsリトアニア大公国】の戦争が始まります。
ポーランド王を継いだ兄が亡くなったため、アレクサンデルはポーランド王位を兼任しており、再びポーランドとリトアニアは連合王国に。
そのためポーランド軍の助けも得て、リトアニア大公国は防衛に成功します。
イヴァン3世も完全征服を狙っているわけではなく、自分たちの力を示して勢力を強めるための戦争でしたので、三年ほどで再度休戦条約が結ばれました。
そして、またしてもモスクワ大公国は広大な領地を得ます。
次男と孫の間で後継者争いが起きてしまい
しかし、領土拡大によってノヴゴロドなど北欧に面する地域も手に入れたため、今度はスウェーデンやドイツ騎士団とも対立。
その対策として、現在のエストニア国境あたりに、自らの名を冠したイヴァンゴロドという城塞都市を作っています。
後に経済的にも発展し、以降、ロシアとスウェーデンの間で争奪戦の舞台となっていきました。
まあ、豊かなところが狙われるのはいつの時代のどこの国でも同じですよね。
住民にとってはたまったものではないですが。
こうして着実にロシアの勢力を強めていったイヴァン3世も、後継者問題には悩まされました。
かつて隣国の後継者問題に手を突っ込んで勢力を拡大した人に同じことが起こるとは、皮肉なものです。
原因は、長男で同名のイヴァンが早くに亡くなっていたことででした。
これまたどこの国でもよくある話ですね。
イヴァン3世の次男ヴァシーリーと、孫(長男の息子)のドミトリーの間で争いが起き、双方の母親や宗教問題、そして貴族たちの派閥が絡んで、この争いは長引いてしまうのです。
最終的にはヴァシーリーが勝ちました。
イヴァン3世の存命中にカタがついたのでまあマシなほうかもしれません。
ヴァシーリーは父の死後、「ヴァシーリー3世」として即位します。
彼の息子があの”雷帝”イヴァン4世です。
物騒な手をためらわないのはジーちゃん譲りというかなんというか。
詳細は以下の記事でご確認ください。
長月 七紀・記
【参考】
栗生沢猛夫『図説 ロシアの歴史 (ふくろうの本)』(→amazon)
イヴァン3世/wikipedia
タタールのくびき/wikipedia