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【アントニー・アシュリー=クーパー】
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義務教育が国力を向上させた!?
こうして少しずつではありましたが、イギリスの労働環境は改善されていきました。
実は、これは同国の教育状況にも良い影響を及ぼしています。
工場法が改良されつつあった最中の1870年に、イギリスでは5~13歳の義務教育が始まっているのです。
確立したのは1876年頃でしたが、もしもこの頃までに「子供には労働でなく勉強をさせるべき」という考えが生まれていなければ、産業革命も中途半端なものになっていたかもしれませんね。
基本的に、より高い教育を受けた人が多いほど、国力は豊かになりますから。
戦争と教育
それをよく表しているのが、同時期のプロイセンです。
プロイセンでは1713年に5~14歳の義務教育が始まり、19世紀後半にはほぼ100%の就学率となっていました。
つまり、ナポレオン戦争をやっていた頃のプロイセンでは、少なくとも半数以上の人が義務教育を受けていたことになります。
これが最終的に巻き返せた理由の一つかもしれません。
ちなみに、フランスで義務教育が始まったのは、ナポレオン戦争から半世紀以上後の1882年。
この辺を絡めてナポレオン戦争の経過をもう一度見てみると、興味深い感じになってきます。
戦争と教育は一見関係ない――というか、相反するようにも思える要素ですが、実は密接に関わっているんですね。
なお、英国の「ブラック労働」がいかに酷かったか?
という点については、以下の記事に詳細がございますので、よろしければご覧ください。
長月 七紀・記
【参考】
『図説 イギリスの歴史 (ふくろうの本)』(→amazon)
『ヨーロッパの家族史 (世界史リブレット)』(→amazon)
アントニー・アシュリー=クーパー_(第7代シャフツベリ伯爵)/Wikipedia
工場法/Wikipedia
八時間労働制/Wikipedia