徳川和子/wikipediaより引用

江戸時代

皇室に嫁いだ将軍の娘・徳川和子の苦悩~その他の秀忠娘たちは?

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元和六年(1620年)6月18日、徳川秀忠の娘・徳川和子後水尾天皇の後宮へ入内じゅだいしました。

入内というのはカンタンに言えば皇室に嫁ぐことです。

幕府と朝廷の結びつきを強めるこの結婚。
輿入れの当初から彼女の立場は、ほとんど嫁ぎ先と実家との板ばさみになってしまっています。

一体何があったのか?
見てまいりましょう。

 

幕府が朝廷にアレコレ言い過ぎ?

徳川和子が苦労した理由。
それはひとえに「幕府が朝廷にアレコレ言い過ぎた」からです。

例えば、後水尾天皇が他の女性との間に男の子をもうけていたことに対し、幕府はこんな処分を言い渡しました。

「ウチの娘を嫁がせる前に、その女性とお子さんを処分(流刑に)させてもらいますね^^」

この時代乳幼児の死亡率は今よりずっと高いのですから、皇統継続のためには何人子供がいても安心しきれなかったというのに、さすがに横暴な話です。

それでなくても“禁中並公家諸法度きんちゅうならびにくげしょはっと”で
「皇室の方々はこうこうしてください」
「公家はなんたらかんたらすべき」
等々、徳川家から皇室や公家に対し干渉しまくっていたので、当然、朝廷の人々は日頃からムカついていました。

そんな敵陣に等しい場所へ嫁ぐことになったのですから、和子はさぞ緊張していたでしょう。

 

夫婦仲はよかった

いざ嫁いでみると、夫婦仲は意外に良好でした。
後水尾天皇と和子の間には二男五女が生まれており、男の子2人はすぐ亡くなってしまったものの、女の子はほぼ天寿を全うしています。

二人とも芸術を好む面があったので、和歌や絵画などの話が弾んでいたとも思われます。

また、和子は苦しい立場ながらに嫁ぎ先と実家のバランスを考えることのできる女性でした。

後水尾天皇は後々幕府の態度にキレて突然、娘の明正天皇に譲位してしまうのですが、女性天皇はもともと”中継ぎ”の役割が大きく、生涯独身を通して子供を産まないことになっていました。
となると、さらにその次の皇位継承者を考えておかなくてはなりません。

そこで和子は、後水尾天皇と他の女性との間にできた皇子を皇太子に据え、両方の顔を立てたのです。

「天皇家の外戚」としてずっと権力を持ちたかった徳川家としては歯噛みしたかもしれませんが、これは和子の作戦勝ち、もしくは運命の皮肉ですかね。

もしも、和子の産んだ皇子が生きていたら、また違った展開になったでしょう。

こんな感じで和子の生涯は緊張が続いていたわけですが、実は徳川秀忠の5人の娘の中ではまだ幸せなほうです。

豊臣秀頼に嫁いだ長女・千姫については以下の過去記事に譲るとして、他の三人について簡単に見ておきましょう。

千姫は大坂城から脱出して幸せになれた?12年で終わった豊臣秀頼との夫婦生活

祖 ...

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【次女・珠姫】一番幸せな結婚

おそらく5人の中では一番幸せな結婚をした人です。

嫁ぎ先は五歳上の前田利常で、三歳(!)で嫁がされているため一緒に育ったも同然。
「姫を退屈させないように」ということで花嫁行列に各種芸人が付き添って行ったそうですから、秀忠の親バカぶりがうかがえます。

もうちょっと他の子供にも優しくしてやれなかったの?とツッコまざるをえません。
家康と同じで、秀忠も子供の好みが激しかったんですかね。

この幼馴染夫婦の仲は極めて良く、三男五女に恵まれました。
しかし、珠姫は24歳で産褥のため亡くなっています。

長生きできれば完璧でしたが、彼女が亡くなるまで利常は他の女性との間に子供はいないので、愛されようがわかりますね。

 

【三女・勝姫】夫がご乱行、息子は改易

従兄の松平忠直に嫁ぎました。

忠直が”乱行”で隠居させられてからは子供達と一緒に江戸に出てきて二度と同居しなかったので、仲が良かったとはいえません。

忠直との間に一男二女がいますが、息子の光長は改易されています。
娘二人は皇族と公家に嫁ぎ、天寿を全うしているのがせめてもの救いですかね。

 

【四女・初姫】妻の死より相撲が大事な夫に嫁ぎ

和子のすぐ上のお姉さんです。
そして一番悲惨な生涯をたどった人でもあります。

嫁ぎ先は”蛍大名”京極高次の息子・忠高。
しかしその母・初が初姫の母・江と姉妹なのをいいことに、「アンタの娘をうちにくれれば、ウチも将軍家も安泰でしょ?」と半ばゴリ押しして決めた結婚といわれており、夫婦仲は冷え切るどころか最初から温まりもしませんでした。

当然子供もおらず、その上29歳の若さで亡くなっております。
しかも初姫死去の知らせが届いたとき、忠高は相撲見物に興じていて席を立とうともしなかったとか。

さらに日頃から冷たい態度を取り続けていたらしく、諸々がバレて秀忠や家光の怒りを買い、初姫の葬儀には京極家関係者は一切出入り禁止をくらったそうです。

珠姫と和子はともかく、千姫含め婿選びが下手すぎるだろうよ、秀忠。

彼女達の弟である家光が、珠姫・勝姫の娘を養女として方々に嫁がせているのも、お姉さんたちに気を使った面があるように思えます。実際は政略的な意味のほうが強いでしょうけどね。

家光の養女になった三人は夭折した一人を除き、子宝に恵まれ長生きしていますので、婿選びは(も?)秀忠より家光のほうが上手かったと言えそうです。

将軍後継時のゴタゴタがあった上にこれじゃ、家光が秀忠を尊敬しないわけですね。

長月七紀・記

【参考】
国史大辞典
徳川和子/wikipedia

 



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