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【広瀬武夫】
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部下を捜しながら そして軍神へ
広瀬はこういう人だったので、たかが部下一人とはいえ見殺しにして撤退することができなかったのでしょう。
福井丸の中を「杉野はいずこ、杉野はいずや」と呼びかけながら(これは後に作られた歌の歌詞ですが)探したものの、杉野は見つかりません。
三度も見回って見つからなかったので、「もしかしたら既にどこかから流されてしまったかもしれない。あるいは、入れ違いに脱出したのだろうか?」と考え、広瀬は船上に戻ります。
そして脱出用のボートに乗ろうとした、まさにその時のことです――。
広瀬の頭に敵砲が直撃し、帰らぬ人となってしまったのでした。
一方、杉野のほうは、遺体が見つからなかったためたびたび生存説が噂されました。
しかしどれも憶測の域を出ず、やはり広瀬と前後して戦死したものと思われます。
広瀬については「部下の身を案じたがために命を落とした」という美談から、死後すぐに日本初の「軍神」として祭り上げられ、神社や銅像が作られました。
名家の出身でもなく、際立って階級が高いというわけでもない。
その割に広瀬の名が他の軍人と比べて知られているのは、このエピソードと「軍神」になったためでしょう。
戦前にはロシア女性とのロマンス
広瀬が以前ロシアに留学していたことがあるというのも因果な話です。
日露戦争が起こる四年ほど前のことで、ロシア語を学び、社交界にも出入りしていました。
中でもアリアズナという女性は広瀬が生涯で唯一交友関係を持った女性であり、彼女は広瀬の戦死を聞いて喪に服したとも言われています。
また、広瀬の遺体はロシア軍によって埋葬されているのですが、もしかしたら旅順で交戦した部隊の中にもアリアズナの親類縁者や友人、そうでなくても広瀬を見知っていた将兵がいたのかもしれません。
かつて交友を持った相手と命がけで戦うというのは、いったいどんな気分になったのでしょうか……。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
別冊宝島編集部『日本の軍人100人 男たちの決断』(→amazon)
広瀬武夫/wikipedia