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その日、歴史が動いた アメリカ

ハワイ最後の女王リリウオカラニ 名曲「アロハ・オエ」が生まれた切ない政治的背景とは?

更新日:

 

南の島というとバカンスやリゾートを想像する方が多いと思うのですが、そうした島々の歴史を見てみると、哀しい道をたどっていることが多くあります。
植民地にされていたところはもちろん、そうでなくても列強の思惑に巻き込まれてしまった国もあったのです。
今回は日本人にとっても馴染み深い、あの島のそんなお話をご紹介しましょう。

1838年(日本では江戸時代の天保九年)の9月2日、ハワイ王国最後の女王となるリリウオカラニが誕生しました。

名曲「アロハ・オエ」の作曲者としても有名ですね。
この歌も実は切ない歌詞だったりしますが、彼女の生涯もまた激しい転機に見舞われていました。

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白人の力をかりてハワイ統一したカメハメハ大王

歴史でハワイの話をするとなると、だいたい「リメンバー!!」的な話題が多いかと思いますので、ハワイ王国そのものの話を少しさせていただきますね。
ハワイに統一国家ができたのは1795年。日本では浮世絵師の写楽が活躍していたとされる頃です。
元々白人の出入りがあり、イギリスとつき合いのあった初代の王様・カメハメハ大王が武器や軍事の面で支援を受け、統一することができました。

一方その頃、海を隔てたアメリカではようやく国内がまとまり、「海外に乗り出そうぜ!」という動きが出てき始めます。ただでさえ資源あるくせに、植民地がほしかったんですね。
しかし、アメリカから見て東(大西洋)側はヨーロッパですから侵略はほぼ不可能。西(太平洋)側へ行くしかありません。となると、途中で食料その他を補給する場所が必要になります。
そこで目をつけたのがハワイだったのです。

この動きに対し、ハワイ王国の内部でも「アメリカってなんかスゲーみたいだし、仲間にしてもらったほうがいいんじゃね?」という人々が現れ始めました。
当然彼らにとってハワイ王家は邪魔者です。ですが当然ながら「俺らの王様はあの人なのに何言ってんだ寝言は寝てから言いやがれ」と反対する人々もいます。
そして前者(共和派)と後者(王政派)の対立が深まっていったのです。

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アメリカ出身の白人と結婚したお姫様を襲う悲劇

そうした空気の中で、リリウオカラニはハワイ諸島のあちこちで遺跡や自然の風景を見ながら、自由闊達に育ちました。
この頃にはハワイの王族が通う学校ができており、英語や音楽なども学んでいたそうです。
これが後に「アロハ・オエ」などを生み出す下地になったのでしょうね。

22歳のときにはアメリカ出身の白人男性と結婚しています。
当時の世界情勢的によくアレコレ問題が起きなかったものですが、ハワイ王国自体が白人の協力によって成立したようなものですから、抵抗は少なかったのかもしれません。
残念なことに、この旦那さんとは子供が生まれる前に死別してしまうのですけれども。
そして1874年、リリウオカラニ36歳のときにお兄さんのカラカウア王が即位すると、彼女は初の女性王位継承者として選ばれました。当時としてはかなり先進的というか画期的というか、ハワイ人の柔軟性すげえ。
ここからリリウオカラニは兄の名代として表舞台に出てくることが多くなります。

ヴィクトリア女王の在位50周年式典に行ったり、兄王が外遊中には本国を取り仕切ったりと、立派に務めを果たしていました。
子供がいなかったからというのもあるかもしれませんが、キャリアウーマンのはしりともいえそうですね。
ですが、徐々にハワイ王家に暗雲が立ち込めてきます。
共和派がクーデターを起こし、カラカウア王に向かって「王様の権力を弱めないと暴れるぞ!!」(超訳)として新しい憲法を作らせたのです。
そして数年後にカラカウア王が亡くなると、リリウオカラニは最初で最後の女王として即位しました。

兄の敵討ちか、自らの思想ゆえか、あるいはその両方からか、彼女は共和派との対立を強めます。
しかしうまくいかず、逆に共和派がアメリカ海兵隊を呼び込んで革命を起こしてしまいました。
ここで実質的にハワイ王家は権力の座から追われ、ハワイ共和国→アメリカ準州→アメリカの州として立場を変えていくことになります。

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逮捕・投獄されるも人びとから尊敬を受ける

もちろんリリウオカラニは反抗しましたが、「女王サマのお家から物騒なモノがいろいろ出てきたんですけど~、これはどういうことでしょうねぇ~?↑↑↑」(※イメージです)という反乱者の汚名を着せられ、逮捕されてしまいました。
……アメリカって言ってることもやってることも150年間変わってないんですね(ボソッ)

幸運なことに、半年ほどで牢から出ることはできたのですが、王に返り咲くことはできませんでした。
その後は1917年に79歳で亡くなるまで、ハワイの人々から尊敬されつつ、穏やかに暮らしていたようです。
他の国だと前の権力者がその座を追われた後は悲惨な末路を辿ることが多いので、彼女の場合はまだ幸運だったといえるかもしれません。
しかし、徐々に母国が他国に組み込まれていくのを見て、どんな風に思っていたのでしょうね……。

長月 七紀・記

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参考:
http://ja.wikipedia.org/wiki/リリウオカラニ
http://ja.wikipedia.org/wiki/リリウオカラニ公園

 





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