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その日、歴史が動いた ギリシャ 欧州

探せ、トロイの木馬! 夢追い人シュリーマンのトロイア(イリオス)遺跡発掘物語

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意外に思われる方も多いでしょうが、神話やオカルトと歴史は紙一重だったりします。
神様が実在していたかどうかという話ではなくて、<フィクションだと思われていた話が実は歴史上の出来事を婉曲表現したものだった>とか、<過去の過ちを二度と同じことを繰り返さないために、教訓として神様を交えた説話にしたものだった>という意味です。こうした話は世界中どこでも珍しくありません。

具体的な例でいうと、スサノオノミコトのヤマタノオロチ退治の話は、「オロチ=大河、スサノオ=治水工事をした人の例えではないか?」なんて見方があります。
そんな感じで、一見作り話と思われることが歴史を紐解くヒントになることもあるのです。
日本以外でも、そんな手がかりから歴史を調べた人がいました。

1871年(日本では明治四年)の10月11日、ドイツの資産家・シュリーマンが古代都市トロイアの発掘に着手しました。

これだけだと「ふーん」としかいえないと思いますので、順を追ってお話ししていきましょう。
現在、遺跡としての名前は”イリオス”らしいのですが、トロイアもしくはトロイのほうがよく使われているので、以下”トロイア”で統一しますね。

ギリシア諸国と戦ったトロイア

まず、トロイアというのは小アジア、今のトルコのエーゲ海沿いにあったといわれていた都市の名前です。ある程度立派な規模の国だったのですが、ギリシア諸都市国家との戦争に負けて滅びたと伝わっていました。

Wikipediaより

負けたきっかけは、コンピュターウイルスの元ネタにもなっている「トロイの木馬」。
ギリシア連合軍は退いたと見せかけて大きな木馬を作り、その中に兵を潜ませ、トロイヤ側が油断してその木馬を町の中に引き入れた後、襲い掛かったという経緯でした。
そんな怪しいものは明らかにフラグだと思うんですが、当時は「神の怒りを鎮めるため」とかいろんな理由で像を作ったりいけにえをささげることがしょっちゅうあったので、その一つだと思われていたようです。捕虜がそのように証言(ただし嘘)をしたので余計信じ込んだのでしょう。
戦争中なんだから敵の発言をそう簡単に信用したらアカンて。

というわけで”伝説”はあったのですが、さすがにこんな話を信じている人はほとんどいませんでした。
それに「歴史は勝者のものである」と言われる通り、負けたトロイア側の記録があまりなかったのです。
ちなみにトロイアの生き残りが後々ローマを作ったりしているのですが、その辺の話は長くなるのでまた機会を改めてお話したいと思います。
先に知りたいという方はぜひ阿刀田高先生の”新トロイア物語”をお読みください。生き残りのリーダー・アイネイアスを主人公としたもので、胸アツな展開で面白いですよ。本自体も分厚いですけど。

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幼いころの伝説を大人になってお金をためて実現、ただし無許可で

そんなわけで、トロイアについてはあまり学術調査が進んでいませんでした。発掘技術もまだまだ未発達でしたしね。
シュリーマンの前にも調べていた人たちはいたようなのですが、手がかりもほとんどない上スポンサーも乏しい状態では、どこにあるかもわからない遺跡を探すのはほぼ不可能というものです。
そうした中、幼い頃トロイアの伝説を聞いて「どうしてもトロイアを見つけたい!!」と思っていたシュリーマンは、商才を生かして財を築いた後、トロイアの発掘をしようと動き始めます。
そして伝説を事細かに読み込んだ結果、「アナトリア半島(現・トルコ)の西にあるヒサルルクの丘がトロイアだったに違いない!」という結論に至りました。
当時ここはオスマン帝国の領地だったのですが、「伝説を確かめられるかもしれない!!」とテンションダダ上がりのシュリーマンはなんと無許可で発掘を始めてしまいます。度胸あるな。
……と思いきや、当時のオスマン帝国は既に”瀕死の病人”と呼ばれて久しい状態だったので、多分盗掘紛いの一個人なんて気にかけているヒマがなかったのでしょう。
火事場泥ぼゲフンゴホン。

シュリーマン(Wikipediaより)

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遺跡はあったけど、トロイヤ戦争より古い時代のものでした

こうしてシュリーマンはトロイアの遺構を見事発見することができました。
しかし、彼がトロイア戦争当時のものだと考えたのは、第2層と呼ばれるもっと以前の時代のものでした。トロイアという場所であったことは間違いないので、ニアミスというところですかね。

「何で同じところにいくつも遺跡があるんじゃい?」と不思議に思う方もいそうなのでカンタンに付け加えておきますと、こういう古い都市や地層では、同じ場所にいくつもの遺構が重なっているケースがよくあるのです。
自然災害によって埋まってしまった後に建てなおした、というケースもありますが、さらに多いのは”埋め戻し”です。
これは整地のために以前の建物を埋めて建て直す、というもので、他にもローマなど古代から存在していた都市でよく見られます。昔はブルドーザーなどもありませんから、いちいち全部片付けられませんからね。また、埋め立てた一部を堤防や城塞として利用することもありました。
イタリアやギリシャで地下鉄を作りづらい理由の大部分はこれです。費用の膨大さもさることながら、学術的・観光的両面から見てお宝の山である遺跡を、利便性のためだけにぶっ壊すということができないんですね。
かといってモノレールにしてしまうと景観が悪くなってしまいますし、難しいものです。

話をトロイアに戻しましょう。

こうした理由があったため、シュリーマンが自分の発見を「トロイア戦争のときの遺跡に違いない!」と思い込んでもおかしくはありませんでした。
が、彼はあくまで資産家であってその道のプロではなかったので、シュリーマンの発掘のやり方はかなり手荒いものだったとか。しかも発掘自体が無許可だったため、同様に無許可で出土品を国外に持ち出すなどやりたい放題でした。どう見ても泥棒じゃないですかーやだー!

こうした暴挙のため傷んでしまった部分も多く、現代の考古学者からすると(#^ω^)と思うこともあるようです。
また、彼は「有名人になってやるぜ!」という自己顕示欲が非常に強い人だったらしく、トロイア発掘に関するものだけでも結構誇張していることがあります。

「俺が発掘を始めるまでは誰もトロイアのことなんて信じてなかったんだぜ!」とかですね。要するにそれだけ「俺SUGEEEEEE!」ということを強調したかったのでしょう。現在ではすっかりバレてますが。
まあ、他の人に危害を加える類の嘘でない分可愛いほうですね。世の中には害を与えるためだけに嘘をつくクズも多いですから。

ちなみに、この遺跡が本当にトロイアという国だったかどうかは現在でも実証されておらず、今後の研究が待たれるところです。
もし「似てるけど違う国でしたw」なんて結論が出た日にはシュリーマンの評価も変わってくることになりますね。行動力だけは認められると思いますけども。
その場合、語学の才能(18ヶ国語を使いこなしたそうです)やそれを利用して清や幕末の日本に来ていたことなどがクローズアップされていくのかもしれませんね。さてさてどうなるやら。

長月 七紀・記
参考:

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シュリーマン(Wikipedia)
イリオス(Wikipedia)





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