ウィンストン・チャーチル(左は軽騎兵連隊に入隊した頃)/wikipediaより引用

世界史

イスラム教徒になりそうだったチャーチル~心配した家族の手紙で発覚

ウィンストン・チャーチルと言えば、第二次世界大戦で英国を勝利に導いた首相として余りにも有名な存在です。

今の方は御存知無いかもしれないけど、Vサインもこの人が広めたんですよね。

Vサインを発明(Wikipediaより)

Vサインを発明/wikipediaより引用

そんなチャーチルが、実は若かりし頃は東洋に興味を持ち、特にイスラム教に傾倒。

心配した家族から「イスラム教に改宗するのだけは止めてくれ!」と釘を刺されていたりしたのをご存知でしょうか?

 


イスラム改宗を心配する家族の手紙が発見

インディペンデント紙(→link)によると、家族がチャーチルに当てた手紙が新たに見つかり、その中で「イスラム教に改宗したいという欲望と戦ってくれ」と書かれていた事から明るみに出ました。

手紙が書かれたのは1907年。

1874年生まれのチャーチルは、当時33歳だった事になります。

そろそろヤンチャを終わらせて落ち着く年頃ですけど、さすがは歴史に名を残すだけあって?一向にそうした気配を見せていなかったようです。

1904年に撮影されたチャーチル/wikipediaより引用

で、義理の妹であるグウェンドリーン・ブリティから、こんな手紙で諭されています。

「どうかイスラム教に改宗しないで。

貴方が東洋に傾倒気味で、トルコのパシャ(太守)のような素養があると、私は思っています。

もしイスラム教に改宗しようとして誰かと会うようなら、その結果は貴方が思っている以上の事になるわよ。

だからどうか、イスラム教徒になりたいなんて考えと戦って欲しい」

手紙を発見したのは、ケンブリッジ大学の歴史調査フェローのウォーレン・ドックター氏。

もっとも、ドックター氏によると「チャーチル自身は決して大真面目に改宗を考えていた訳ではありません。彼は、この頃はほぼ無神論者だったからです。ただ、ビクトリア朝の人達の間で良くあった事ですが、イスラム文化に惹かれていたのは確かです」と、インディペンデント紙の取材に答えています。

 


スーダン赴任で「イスラムの太守のようになりたいなぁ」

キッカケとなったのは、英国陸軍の将校としてスーダンに赴任した事でした。

イスラム社会を観察する機会になり、当時の婦人参政権運動家のコンスタンス・ブルワー・リットンという人に当てた手紙で、次のように書いています。

「ここで太守になりたい」

この日付が1907年。

プライベートな生活ではアラブ風の衣服を着るまでになっていました。

また、親交のあった詩人のウィルフリッド・S・ブラントがイスラム文化に傾倒し、それに引きずられた節もあったようです。

先のドックター氏はこう分析しています。

「ブリティは、チャーチルがアフリカに赴任し、反帝国主義者であったブラントと会見した事で心配していたのでしょう。

もっとも、アラブ衣装を身にまとったものの、2人の意見が一致する事は少なかったようです。

後の1940年にはリージェント・パークにロンドン中央モスクを建設するのを支援していましたが、これはイスラム諸国を味方に付けるという狙いがあったようです」

なお、その際に提示した額が10万ポンドだったそうですから、馬鹿になりませんよね。

 

イスラムの女性の扱いには批判的

後々、チャーチルは下院で「イスラム諸国に多くの友人がいる」と語っていますし、それは「恩恵」だとすら言っています。

しかし、その一方でイスラム社会の女性への扱いには批判的でした。

英国がスーダンに攻め込んだマフディー戦争を扱った著書「リバー・ウォー」の中では、次のように辛辣な語り口です。

「イスラムの法律が、全ての女性は男性に属し、子供や妻や愛人などとして絶対的な財産として扱われる事実がある。

これはイスラム社会で男性が力を持っている限りは奴隷制度の絶滅を遅らせるに違いない。

イスラム教徒1人1人は、輝かしき資質を見せるかもしれないが、イスラム教の影響は、社会を発展させようと頑張る人達を麻痺させる。

世界中に、これほど逆行させる強大な勢力は無い。

衰えを見せぬどころか、イスラム教は軍閥となり改宗を迫っている」

つまり、政治家としての冷徹な目線を失う事は無く、当時の中東政策で最大限の国益を得るべく、身内すら騙されてしまう程のパフォーマンスをしたという所でしょうか。

ちなみにドックター氏は『Churchill and the Islamic World』(→amazon)という著書を出しております。

Kindle版でも手に入りますのでご興味のある方はどうぞ。

洋書が簡単に手に入る、いい時代になったものです。


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南如水・記

【参考】
インディペンデント紙(→link

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