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名脇役

投下1か月で現地入り3万人の広島・長崎の被爆者を救ったスイス人医師マルセル・ジュノーとは

更新日:

今日8月9日は、長崎に原爆が投下されて70周年。改めて粛然とした気持ちにさせられます。

そうした中でスイス赤十字が、当時の広島と長崎の被爆者の治療に奔走したスイス人を顕彰し、注目を集めています。

swissinfo.chの記事を紹介してみましょう(2015年8月5日付け)。

マルセル・ジュノーという人物が、その人です。原爆が落とされた広島を最初に訪れ、治療に当たった外国人医師でした。

ヘッダーの氏の画像はウィキペディア日本語版より)

投下直後に初めて現地入りした外国人医師

1904年、スイスのヌーシャテルに生まれ、外科医として修行を積んだ後、1935年に国際赤十字委員会(ICRC)に参加。折しも、世界的に戦争の嵐が吹き荒れそうになっていた時代でした。国際赤十字としても、対応を巡り模索しました。1935年に、早くも最初の出番が巡って来ます。第二次エチオピア戦争で、戦地に足を踏み入れたのです。以後、1936年からはスペイン市民戦争でも治療に赴き、やがて第二次世界大戦に直面します。欧州と日本の戦場の両方を直に見た数少ないヨーロッパ人でもありました。

広島への現地入りは1945年9月13日。投下から1ヶ月少しだった訳です。

通訳を務めた丸山幹正氏(後に『ドクター・ジュノーの戦い』という伝記を出版)によると、広島で精力的に治療活動を行いました。当時、広島では大勢の被爆者が治療を必要としていましたが、「治療で2万人から3万人の命が救われた」(丸山氏)。

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任務外の活動で人命救助をマッカーサーに直談判

興味深いのは、国際赤十字委員会の任務として、こうした被爆者の治療は想定されていなかった事でしょう。元々来日したのも、当時の日本国内の連合軍捕虜の処遇実態を調査するのが目的だったからです。ちなみに、東京着が1945年8月9日。そう、70年前の今日だったのですね。

事態を知ったジュノーは同僚と共に、降伏後に進駐したGHQと直談判。医療とロジスティックスが必要だとダグラス・マッカーサーを説き伏せます。本国に、広島の凄まじい惨状を電報で知らせてもいます。

マッカーサーは、ジュノーに15トンの医療物資の供給します。空輸しながら治療活動を支援する事も約束します。日本人の放射線医師や、アメリカ人の医師を連れて広島入りするなど、組織のオーガナイジングをする力にも長けていた人でした。

息子のベノイト・ジュノーさんは、後にこう回想しています。「父は5日間、広島にいました。本当に混沌としていた中で、被爆者の治療を直に行ったのです」。

日本赤十字社のKiyoshi Eouchi(すいません、調べて見たのですが日本語での綴りが分からなかったので、このまま載せます)氏も「こうした膨大な量の医療物資が、生き残った人達にどれだけの希望となったかは、今となっては想像がつかないほどです」と、絶賛しています。

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帰国後、原爆の恐ろしさを本に綴る

1946年に帰国後、広島での惨状を証言しようと、執筆に取りかかります。翌年に出版。ベノイトさんによると、広島の原爆がもたらした影響について書籍として最初に触れたのはマルセルだったろうとの事です。

「当時のアメリカは、この問題を検閲していました。アメリカで最初に報道したのはジョン・ハーシーというジャーナリストでしたが、1946年9月でした」(ベノイトさん)。中立国のスイスでこそ出版可能だったのでしょうね。

国際赤十字委員会では、ジュノーの人道援助のパイオニアとして戦地で活躍した功績は記憶に留められて然るべきだとしています。

「極端なまでに仕事に打ち込む人でした。国際赤十字社には、一時的に参加するだけだったのが、一生の仕事となったからです」と話すのは、国際赤十字社で国際法とコミュニケーションの担当責任者であるフランシス・バグニオン氏。「彼の行動が、今日の医師団派遣のモデルになったのです。我々の医師団には、あらゆる意味でジュノーの精神が宿っているのです」

1961年6月16日、心臓発作で世を去りますが、こうした活躍を称え、1979年には広島平和記念公園に顕彰碑が建てられたほどです。また、1990年から毎年6月に追悼式展が行われています。

ウィキペディアより

今回は70周年という事もあって、この顕彰碑を基にした記念碑のお披露目式が行われたそうです。

なお、ウィキペディア日本語版によると、在日朝鮮人の帰還事業に関連し、赤十字国際委員会から日本への使節として、8月23日に来日した。岸信介首相、藤山愛一郎外相らと会見。日本政府の帰還調整委員会にオブザーバーとして出席するなど、約1ヶ月間日本での業務にあたったとあります。

となれば、安倍首相がいつの日かスイス入りしたら、この顕彰碑に献花しても良いのではないのでしょうか。

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