昭和を代表する国民的日本画家・東山魁夷(かいい) 市川の記念館へ行ってみました

 

歴史というと、どうしても遠い過去のことを想像しがちですよね。

しかし、実際には遠い昔のことも「当時」だったときが必ずあるわけですから、今このときもまさに歴史。最近の人物も、いつかはその一部として語り継がれていくことになります。

というわけで、本日はごくごく最近に活躍した、とある芸術家のお話。明治四十一年(1908年)7月8日は、画家の東山魁夷(かいい)が誕生した日です。

亡くなったのが平成十一年(1999年)と最近のことですし、あちこちに作品を寄贈しているので、なんとなく名前に見覚えのある方も多いのではないでしょうか。

【TOP画像】市川市東山魁夷記念館/photo by 長月 七紀

 

横浜で生まれ、神戸に引っ越し、大学は東京美術学校

画家に限らず、芸術家というと生前は不遇・死後になって有名になるケースが多い中、存命中から一定以上の評価を得ていた珍しい人です。
しかし、もちろんそこまでの道のりは楽なものではありませんでした。

本名は東山新吉(しんきち)。横浜市で船具商を営んでいた両親のもとに生まれました。
父親の仕事の都合で物心つく前に神戸に引っ越しておりますし、大学は東京美術学校(東京藝術大学の前身)で、その後もあちこちに行っているので、いわゆる「ハマっ子」ではなかったでしょうね。

在学中に帝国美術院展覧会(現在の日本美術展覧会)で入賞し、以降、頭角を現していくのですが、下宿生活だったこともあってなのか、それに驕るようなことはなかったようです。

東山はまめな人で、下宿時代から神戸の両親宛てに、かなりの頻度で手紙を書いています。

元気にやっていることや長期休みの予定、仕送りのお金を何に使ったか、作品制作のため年末年始に帰省できなかったことに対する謝罪など、報告してないことがないんじゃないかというくらいに、両親に気を使っていました。
まめだからこそ、美術に関する努力もコツコツと続けることができるのでしょうね。

東山魁夷/wikipediaより引用

 

ドイツのベルリン大学へ留学し西洋絵画を学ぶ

卒業後は当時としては珍しく、ドイツのベルリン大学(現・フンボルト大学)に留学し、西洋の絵画についても学びました。
移動については、費用の都合なのでしょうか、貨物船で2ヶ月半もかけて渡欧。その中でも数多くのスケッチを描いていますので、むしろゆっくり道中の景色を描くために貨物船を選んだんじゃないかという気もします。

西洋の空気と芸術、景色を目と心に焼き付けて帰国した東山。日本で待ち構えていたのは辛い現実でした。実家が倒産し、肉親は亡くなり、そして第二次世界大戦の開戦と、不幸が相次いだのです。

唯一の救いは、生涯寄り添える妻を見つけたことでしょうか。

芸術家だからといって”赤紙”の対象外にはなりません。やがて東山のもとにも戦争への召集がかけられ、兵としての訓練を受けることになります。最初は千葉県柏市の部隊に所属し、後に熊本へ。遠くに見える阿蘇山の姿が強く印象に残った、と後に回想しています。

その年はちょうど昭和二十年(1945年)。終戦の年でした。

 

日本美術展覧会で特選を取り、文化勲章も受賞

すんでのところで戦場には行かずに済んだ東山でしたが、生き残った人にもそれぞれの闘いがあります。
一度は妻や母が疎開していた山梨県に行き、母が亡くなってからは千葉県市川市の知り合いの家に間借り。もちろん、この間も絵の道を忘れてはいません。

そして努力の結果、「残照」という作品で日本美術展覧会の特選を取り、政府に買い上げられるという大きな実績を作ります。
その後も「道」など、彼独自の絵で高い評価を獲得。昭和四十四年(1969年)には文化勲章も授賞しました。

日本画というと、水墨画や豪華絢爛な屏風絵のイメージが強いかもしれません。が、東山の絵はそのどちらとも違います。カラーでありながら、どこか水墨画の風情があり、けれども油絵のような立体感は控えめで、不思議な平坦さがあるのです。

同じカラーの日本画である「秋田蘭画」(過去記事:「秋田蘭画」を確立させた秋田藩主・佐竹義敦 デッサン力が江戸時代とは思えないほど精緻だわ!)と比べると、違いがよく分かるのではないでしょうか。

小田野直武『東叡山不忍池』/Wikipediaより引用

 

美術館もオススメ! JR下総中山駅からタクシーが確実です

今回は市川市にある「東山魁夷記念館」のご紹介もさせていただきます。
実はちょっと前まで近所に住んでいたのですが、これまで行ったことがなかったのでこの機会に足を運んでみました。

最寄り駅はJR下総中山駅。とはいっても徒歩15分以上かかります。近隣の方以外はタクシーかバスを利用したほうがいいでしょう。距離としては2kmもないんですが、途中から上り坂になったり住宅街の中に入ったりするので、夏は割とキツイです。

私もキツかったです。駅との往復で500mlのペットボトルを飲み切りました。
途中に自販機は点在していますが、ベンチとか公園が一切ないので、日頃からよほど運動してる方でもないと辛いと思います。特に足腰の弱い方やお年寄りは、無理せず文明の利器をお使い下さい。バスは本数が少ないので、タクシーのほうが確実です。

京成線中山駅のほうが近いことは近いのですけれども、こちらだと中山法華経寺を通り過ぎるような感じになるので、それはそれでもったいないかなぁと。桜や蓮の時期に、記念館と法華経寺を両方訪れるならいいかもしれません。

どうでもいいですが、中山法華経寺は地域猫活動をしているので、晴れた日に運が良ければ猫に会えます。それを悪用して、ここに猫を捨てていく人も多いそうですが(#^ω^)

中山法華経寺の奥の方には、戊辰戦争時にこの辺でドンパチやったときのことが書かれた石碑があります。割とひどい目に遭ったようです。

閑話休題。

記念館の内部は撮影禁止なので、外観だけ写真を撮ってきました。

市川市東山魁夷記念館1

こんな感じのなかなか素敵な建物です。

 

市川市東山魁夷記念館3

少し奥に入ると入り口があります。……暗いのは夕方間際に行ったせいで逆光だったからですスミマセン。

 

市川市東山魁夷記念館4

駐車場の案内ですね。この馬と同じデザインの風見鶏ならぬ風見馬(?)が入り口の上のほうについています。

館内は一階が東山の生涯、特に学生時代の手紙やスケッチなどが展示されています。二階が作品の展示で、上記の「残照」「道」(のレプリカ?)もありました。

今年(2016年)は7/23・10/1・12/10に展示が変わるとのことですので、見たい作品が決まっている方は、調べてから行くといいかもしれません。
元々東山の自宅だったところなので、そんなに大規模ではありません。じっくり見ても2時間程度かと思います。

また、地元の星ということで、市川市中央図書館にも東山のコーナーができています。場所柄、こちらは画集や著作が主ですが。

他に市内で東山の作品が見られるところというと、市川市文化会館でしょうか。
こちらはお隣のJR本八幡駅から徒歩10分ほどにあるのですが、ここの大ホールの幕の原画が東山の手によるものです。「緑の微風」というタイトルそのままの風景が描かれています。

……まあ、ここでご紹介したものは東山魁夷記念館のホームページで画像を見られるんですけどね。ハハッ。

美術品は生で見るからこそ伝わってくるものも多いですし、他にも東京国立近代美術館などで彼の作品を見ることができます。

歴史の授業で覚えさせられるのはだいたい水墨画や美人画ですが、たまにはそれ以外の日本画を鑑賞するのもいいのではないでしょうか。

長月 七紀・記

参考:東山魁夷/wikipedia 市川市東山魁夷記念館

 


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