魏武注孫子

孫子(カリフォルニア大学所蔵の写本)/photo by vlasta2 wikipediaより引用

あの曹操が兵法書『孫子』に注釈をつけた『魏武注孫子』は今も必見の一冊である

読めば、勝利の真髄が身につき、かの武田信玄公も愛したという。

中国の兵法書と言えば?

そうです、『孫子』ですね。

著者の孫子(孫武)がどんな人物で、その兵法がいかなるものだったか?

それは以下の記事でご確認していただくとして、

孫子
信玄や曹操などの名将たちが愛用した~兵法書『孫子』と著者の孫武は何が凄い?

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今回注目したいのは、とある「孫子マニアな人」です。

誰あろう、曹操です。

――数多の戦乱に見舞われた中国大陸。

知られざる名著が消えていく中、『孫子』もまた消失の憂き目に遭ったとしても不思議ではありませんでした。

そんな状況の最中、『孫子』をきっちりとコレクションし、注釈まで加えた曹操は文化財保護者でもあります。

そして兵法書『孫子』に曹操が注釈を入れた書物を『魏武注孫子』と言います。

 


唯一の例外が『魏武注孫子』

『魏武注孫子』とは?

一言で表せば、原書のアップグレード版と言えます。

『孫子』は有名すぎるがゆえに【解説書】も多数ありますが、敢えて言いますと岩波文庫青版『新訂 孫子』(→amazon)で充分。

唯一の例外が『魏武注孫子』であり、決定打とも言える内容を誇ります。

孫子(カリフォルニア大学所蔵の写本)/photo by vlasta2 wikipediaより引用

ではなぜ、曹操は『孫子』にどっぷりハマって、わざわざ注釈まで入れたのか?

ご存知の通り、彼は生涯を戦いに追われ、決してヒマではありません。注釈が完成したのは【官渡の戦い】の前あたりとされています。

多忙を極めるこの時期、本を集め、読書をしつつ、注釈まで入れるというのは大変なことです。

しかし、超合理的な彼だからこそ、役に立つと確信したからこそ、『孫子』をマトメたとも言えます。

 


曹操はナイスガイじゃないよね

三国志』の中でも曹操は、ナマの性格がとびきりわかりやすい人物であります。

通常「『三国志演義』の影響を受けていない、リアルな個性を知りたい」となれば、正史が唯一のルートとなります。大半の人物はそうです。

仮に、正史以外の書物で探ろうと思っても、成立年代の早い『世説新語』の時点で面白極端エピソードセレクションとなっておりますから、やっぱり探し出すのは厳しい。

その中で数少ない例外が曹操です。

彼は、文人として著作を多く残しており、そのひとつが『魏武注孫子』でした。

後世、「あの悪党なら、改ざんしているんじゃないの?」という疑惑にもさらされましたが……それは濡れ衣。

悪党だからこそ『孫子』マニアなのでは?という考え方もできます。

孫子は名声が確立しているから、後世の人間も根性が悪いとは言いにくい。

でも、曹操はそうじゃありません。叩きやすい。

しかし、この二人はおそらく同じタイプの性格をしていると見える。だからこそ、曹操は『孫子』を知ってハイテンションになったのではないでしょうか。

「『孫子』の言うこと、わかりみがありすぎる!」

そんな風に思う曹操の性格って?

横山光輝版『三国志』を筆頭として、一般的に描かれる彼のキャラクターは、とにかく極悪非道になりがちですよね。

されど、無意味な残酷さではない。面白半分で酒池肉林をするタイプではない。

「酷いっていうけど、ここは殺した方が合理的だからな」

そんな風に考えるタイプです。

我を忘れて行動したのは、父・曹嵩の殺害事件ぐらいでしょうか。これは後世の作り話とも言い切れず、ともかくゾッとする話が残されております。

ではまず『孫子』のエッセンスから少し考えてみましょう。

 


そこに魔法はいない、そして軍師もいない

大昔から存在し、今でも使えるとされる『孫子』。

魔法のような一冊か?と思えば実際には真逆で、こんなコトが書かれています。

「迷信を信じている暇があるなら、計算しろ! 現実に戻って来い!」

孫子がこの書物をまとめていた紀元前5世紀。当時はまだ迷信が支配する時代でした。

天に祈ったから。

そういう運勢だったから。だから勝てる。

よーし、今回も祈ろう!

と、なるのも当時の中国が悪いのではなくて、全世界がまだまだそんなものでした。

それをぶった切ったのが孫子です。

孫子といえば、軍師というイメージがあるかもしれません。

しかし、その言葉を読めば読むほど、軍師は実在しないと言うことがわかってきます。

わかりやすいのが『三国志演義』でしょう。

曹操軍配下の軍師は軒並みパッとしないようにも思えます。

荀彧なり郭嘉なり、著名な文人がいないわけではありません。ただ、正面切って強いというよりも、兵糧管理や裏方をしている官吏タイプの姿が浮かんできます。

では、なぜ曹操には軍師が必要なかったのか?

というと、曹操が兵法マスターなので、いちいち軍師に頼る必要がなかったんですね。

もちろん軍議で意見は聞きますが、基本は自分の頭の中に戦術があります。

ここが劉備との違いといえます。

劉備は諸葛亮を迎えるまで、根性と度胸はあっても『孫子』をバリバリにこなせるレベルの知将はおりませんでした。

諸葛亮のライバルといえば司馬懿ですが、彼は基本的に武将であり軍師というのはあくまで後付けのイメージでしょう。

そういう、なんだかよくわからないけどスゴイ軍師像とは、真逆のスタンスが『孫子』です。

例えば『三国志演義』における、祈祷で東南の風を呼ぶ諸葛亮をもしも曹操本人が見たら?

「おい、祈祷で風が吹くか! 気象条件を調べろ、検証しろ!」

そう突っ込むのではないでしょうか。

※横山光輝三国志では普段から近辺の気象条件を調べている設定でしたが

※俺を燃やして団結するなぁ〜〜!!

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