天は人の上に人を造らず学問のすゝめ

福沢諭吉/wikipediaより引用

明治・大正・昭和

誰もが平等なんて言ってない「天は人の上に人を造らず」学問のすゝめのリアル

天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」とは?

言わずもがな福沢諭吉の著書『学問のすゝめ』の冒頭であり、明治13年7月に一冊の合本として発売された。

このフレーズ、いかにも【人間はみな平等だよね、そういう社会にしていこうね】という意思表示にも見えるだろうが、誤解してはならない。

福沢は、どんなときもどんな人も平等である、とまでは言っていない。

「人によっては貧乏になる」と、ある意味、突き放した言葉がその後に続くのだ。

 


「~と言われている」とはこれ如何に?

まずこの一文、原文には我々が普段聞きなれない言葉が一つ付いている。

それが「~と云えり」である。

正しい一文は

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云えり」

となるのだ。

気になるのは、この「云えり」の訳し方であるが、どんな意味だと思われるか?

現代語訳にすれば「~と言われていますよね」となり、今度は全体での捉え方が大事になってくる。

『福澤諭吉著作集第3巻 学問のすゝめ』の中で西川俊作氏は次のように述べている。

しかし、そのあとに「と云えり」と付いていることはあまり人びとの注意を引いていない。

これは、世間というよりも、もっと広く世界ではというくらいの大きな気分で、「天は人の上に人を造らず」と言われている、と書いたのであろう。

『福澤諭吉著作集第3巻学問のすゝめ』242頁(2002年、慶応義塾大学出版会)

要は、福沢自身が「平等だ!」と断言しているのではなく、「世界では、そないなことも言われてまっせ」ぐらいの強さ。

そして、この一文の後に、もっと重要な記述が続いているのだ。

 


学問をする者しない者

西洋化を推進した諭吉は、もちろん西洋の思想を知っていた。

そこから生まれた諭吉の名言は、渡航経験のあるアメリカの独立宣言(1776年)など、人権思想に影響を受けたことは明らかである。

末尾の「~云えり」が示すのは、「天は人の上に~」という平等思想も、諭吉のオリジナルではなく、当時、世界最先端の思想だったということだ。

そして、その先にもっと重要な続きがある。

それが以下の通り。

【意訳】天は人の上に……と、いくら平等だとは言ってもさ。現にだよ。広く社会を見渡してみれば、賢い人、愚かな人、貧しい人、豊かな人、貴人もいれば、奴隷身分もいるでしょ。それって何なの?って話で。

【原文】されども今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかな人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。

むむっ?

なんだか雲行きが怪しくなってきたぞ。

さらに続く。

【意訳】たしかに人は「生まれながらに平等」だと思う。でもさ。結局、学問をする人は偉くなって豊かになり、学問をしない人は貧乏で身分も低いようになっちゃうよね。

【原文】されば前にも云える通り、人は生まれながらにして貴賤貧富の別なし。唯学問を勤め物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。

言い切っておりますね。

勉強をする人は立場も良く生活が豊かになり、逆に勉強しない人は貧乏になるよ、と。

むろん、家庭環境の不備によって勉強の機会を奪われてしまう人は今も昔も存在している。

彼らに対する救済措置のない社会は是正されてしかるべきだが、ともかく現実問題として、学問の習熟度が生活力に直結してしまう――それは、まさに現在の社会もそうであろう。

そう。「天は人の上に」は、手放しの【平等論】ではない。

学問の重要性を説いており、その見識は今なお実際に継続しているのだ。

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