リスボンといえばポルトガルの首都。
そんな都市部で攻防戦とは穏やかならぬ話ですが、これは同地域の歴史における大きな戦いのターニングポイントでした。
世界史の教科書でもおなじみの”レコンキスタ”ですね。
お好きな項目に飛べる目次
8行でまとめるレコンキスタ
レコンキスタとは「ムスリム国家からキリスト教国家が土地を取り戻した」という一連の戦いです。
しかし、ちょっと詳しく見てみると「もうちょっと早く終わらせられたんじゃね?」と思わなくもありません。
レコンキスタという言葉をバラすと「レ(Re)=再び」+「コンキスタ(conquista)=征服」。
ゆえに日本語だと「再征服運動」と訳されるんですね。
「コンキスタ」という言葉はこの後、スペインの植民地政策のところで「”コンキスタ”ドール」として再登場するので、元の意味を覚えておくと結びつくかもしれません。
では、だいたいの流れを先に確認しておきましょう。
① イベリア半島に西ゴート王国という国ができる
↓
② ウマイヤ朝に攻められて西ゴート王国が滅ぶ
↓
③ イベリア半島のあっちこっちでウマイヤ朝に対する抵抗が始まる
↓
④ ウマイヤ朝の本土で内紛、王族がイベリア半島に逃げて「後」ウマイヤ朝を作る
↓
⑤ アストゥリアス・カスティーリャ・ポルトゥカーレなどの小さな国ができる
↓
⑥ ポルトゥカーレが先にムスリムを追い出し、ポルトガル王国となる ←今日この辺
↓
⑦ gdgdの後、イベリア半島最南端のグラナダだけが残る
↓
⑧ グラナダを攻め取ってレコンキスタ完了
始まりをどこととるか?
見方はそれで変わってきますが、だいたいこの間780年くらいです。
日本史でいえば、平城京の時代から毛利元就のにーちゃん・毛利興元が生まれた年までにあたります。
喩えが細かすぎますかね。まぁ、とにかく長いんです。
それだけムスリムが強かったから……というだけでなく、お互いの勢力圏内で内紛がたびたび起きてgdgdだったからでもありました。
では、更にもう少し詳しく見ていきましょう。
まずはイベリア半島で三つ巴の戦い
まず「西ゴート王国」とは、ローマ帝国が東西に分かれて滅びた後、スペインからフランス中南部にかけてできた国です。
しかしその北東側にできたフランク王国(ドイツ・フランスの原型になった国)に押され、イベリア半島まで後退。
いったんは落ち着いたかと思ったら、100年もしないうちにムスリム国家のウマイヤ朝に南から攻められ、西ゴート王国は数年で滅亡してしまいます。
イベリア半島は既にキリスト教化した後だったので、この時点でキリスト教vsイスラム教という構図ができました。
宗教が絡むと、反攻も早く始まるものです。
西ゴート王国が滅びて十年のうちに、イベリア半島北部にアストゥリアス王国という国ができ、ムスリムとの戦いを始めました。
しかし、時同じくしてフランク王国がイベリア半島に攻めてきたため、この地のキリスト教徒たちは二正面作戦を強いられることになります。
幸運にも、同時期のウマイヤ朝は領土が広くなりすぎて内部分裂を起こし、アッバース朝という新たな国ができました。
ウマイヤ朝の王族の一人がイベリア半島最南端のコルドバに作ったのが「後」ウマイヤ朝です。中国史で前漢と後漢があるのと似たようなもんですね。
こうして、イベリア半島で
「地元のキリスト教徒」
vs
「海の向こう&地元のムスリム」
vs
「うまいところを持っていきたいフランク王国」
という三つ巴の戦いが始まります。
フランク王国はこの後すぐに自分の国が分裂して、イベリア半島どころじゃなくなるのですぐに関係なくなりますが。
イスラム勢力が内乱を起こせば、キリスト教側も同じように……
キリスト教側も頑張りますが、10世紀にファーティマ朝という新たなムスリム王朝が興り、一時はバルセロナなどのスペイン北部まで攻められました。
しかし、その後は後ウマイヤ朝が内部分裂により滅亡したことで、イベリア半島内のムスリムは一枚岩ではなくなって互いに争い始めます。
もともとその土地を持っていた異教徒が目と鼻の先にいるというのに、のんきなものです。
その隙にキリスト教側は各地で小さな国を作り、地盤を整えていった……かと思いきや、こっちもこっちで領地を巡って相争っておりました。
後世の異国人からすると「お前ら何してんの?(´・ω・`)」としか思えませんよね。
11世紀には双方の内紛が落ち着き、ムスリム側にムラービト朝という国ができて、再びイベリア半島の征服を始めます。
またしても押され始めたキリスト教側は、ここでようやくまとまり始めて再び押し返します。
この間、フランス王家の親戚がポルトガル王国を建国し、ムスリムからリスボンを奪還。
1147年のことです。
ポルトガルはこの後100年ほどでレコンキスタを完了し、先に国家としてのスタートを切りました。
第4回十字軍をキッカケに国々が手を取り合う
現在のスペインにあたる地域は、もう少し時間がかかっています。
ムスリム側が東方へ目を向けていたことと、キリスト教側が一枚岩になれなかったからです。世界史の戦争ってだいたいこんなんですよね。
キリスト教側が盛り返したきっかけは、第4回十字軍でした。
本隊は「物資と金ほしさに、同じキリスト教徒の都であるコンスタンティノープルで略奪を働いた」という世界史上屈指の汚点を残しますが、イベリア半島へ向かったキリスト教徒の戦士たちは、レコンキスタの重要な戦力となりました。やればできる子。
こうしてようやくイベリア半島の国々も手を取り合う気になり、キリスト教連合軍は6万を超える大軍になりました。
ちなみに、この時点で西ゴート王国が滅びてから500年近く経っています。本気になるの遅すぎるやろ。
しかし、一度勝った後はまたしても各地で内乱が起きます。
王様が亡くなってしまった国がいくつかあり、内乱スレスレまで荒れてしまったのが原因なのですが……何でそうなる(´・ω・`)
他の国はイスラムとの戦いを続けたものの、そもそも頭数が減ってしまったのでうまく行きませんでした。
こうして10年ほどのgdgd期間ができてしまいます。
内紛やらなんだかんだで更に250年グダグダだったけど
といっても内乱スレスレだったのはムスリム側も同じで、一度大敗したことにより求心力を大幅に弱めていました。そしてイベリア半島でのムスリム勢力は小国乱立状態となります。
チャンス! とばかりにキリスト教側は各地を攻略。
とはいえムスリム側もまだまだ頑張り、イベリア半島南部のグラナダにナスル朝を興して抵抗しました。
グラナダは今でこそアルハンブラ宮殿で有名な観光地ですが、当時は山に囲まれた要害、かつ畑も多く、長期戦に向いた土地だったのです。
ただでさえ攻めにくいのに、ここにきてまたキリスト教側はそれぞれの海外進出や自国の生存戦略など、好きなことや内紛をやりだしたので、さらに250年ほどレコンキスタは長引きます。
なんで「一つずつ片付けよう」と思わないんでしょうね。
そんなこんなで15世紀の後半になって、ようやくレコンキスタの中心となっていたカスティーリャ王国がまとまり、スペイン王国となりました。
その三年後にグラナダで内乱が起き、今度こそレコンキスタ最後の戦いが始まります。
約10年かけてナスル朝を攻め滅ぼし、ようやくレコンキスタは完了。
よくこの混乱に乗じて他の国に滅ぼされなかったものですね。他の国も似たような状況で常に争っていたので、ある意味運が良かったかもしれません。百年戦争とか。
この後、ポルトガルやスペインは大航海時代に乗り出し、続いて世界史が大きく動いていくことになります。
教科書だと時系列を優先するので、他の国の話が間に入りますが、実はレコンキスタの直後が大航海時代です。
異教徒とドンパチやってて、すぐに海外に行く……というのもスゴイ話ですのぅ。
まあ、明治維新以降の日本も似たようなものですが。
長月 七紀・記
【参考】
リスボン攻防戦/wikipedia
レコンキスタ/wikipedia