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【水主衆】
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他国との交易でいち早く鉄砲や鉄を入手
雑賀衆は、元々は和歌山の紀ノ川河口部に住む海の民でした。
冗談のような鉄砲の所有数や高度な射撃技術。
あるいは石山本願寺で織田信長を撃退し続けたこと等で大いに知られた存在ですが、そもそもは自治を守るため鉄砲で武装するようになった漁民達の集まりです。
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雑賀の衆が早い段階から鉄砲を所有できたり、原材料となる鉄などを大量に確保できたのは、彼らが船で独自に交易をしていたからなんですね。
そのことからも彼らが「水主」としての腕も巧みだったことがわかります。
源義経同様、全国に「実は生きていた!」伝説がある孫一の事ですから真偽の程は分かりません。
しかし、元々、政宗公は一芸に秀でた人のヘッドハンティングが趣味……ではなく、他国や外国の優れた技術を自藩に導入する気概に溢れておいでの方でした。
孫一本人でなくとも、その親族や雑賀衆のメンバーなどが水主としてやってきて来ても不思議ではありません。
政宗公が松島の水主衆に求めたものは、単に船を操る腕前だけではなく、織田信長をも追い返したその戦闘技術と戦う気骨だったのではないでしょうか。
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さらに政宗公は、支倉常長を副使とした慶長遣欧使節をスペインに派遣して洋式の軍艦を手に入れ、その操船を水主衆に任せて江戸を攻めるつもりだったのだとも言われます。
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小説などでも採用されることのあるこの設定、政宗公の長女五郎八姫の嫁ぎ先である松平家の家老職にあった大久保長安との密約と並べて「伊達政宗最後の野望」といった感じで良く使われます。
・スペインの無敵艦隊
・幕府の重臣で当代きっての富豪大久保長安との密約
・水主衆
時期的にも近いこれらの事物はいかに繋がるのか?
水練と戦の手腕に長けた水主衆は、実は江戸を攻めるための水軍として雇われた――政宗最後の隠し玉だったと考えると戦国ミステリーの妄想が説得力を伴って大いに膨らみますね。
400年来の操船技術で津波被害から守る
現在、松島には湾内の島々を巡る遊覧船のコースがあります。
政宗公はじめ代々の藩主が愛でた美しい景色を我々も手軽に楽しむことができるのですからいい時代であります。
竜や鳳凰など、煌びやかに飾り付けられた遊覧船は大層美しい。
湾内を一周すると、かつて他藩からの賓客を乗せて遊覧したという伊達家の御座船「孔雀丸」「鳳凰丸」に乗ったような気分になることができます。
実はこの遊覧船、3.11東日本大震災では海上にありました。
本震後も揺れ続ける海の上、船頭さんが見事桟橋に船を着けてくれたお陰で、津波が到達する前に速やかに観光客の方を避難させる事ができたのだそうです。
この船頭さんの中には現在も松島町の御水主町にお住まいで、13代目の水主衆として遊覧船の操船をなさっている方もいらっしゃいます。
400年も前(もしかしたらもっと前)から先祖代々受け継がれてきた技倆と生業で人を救うことができたなんて、すごいことだと思いませんか?
かつて紀州沖の逆巻く渦潮を乗り越えてやってきた人々が、その水練の手腕を今も現代に伝えている松島。
これからもこの町が、桃山文化華やかなりし頃を今に伝える町として残っていくことを願ってやみません。
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鈴木晶・記
【参考】
岩本隆『松島町郷土史夜話』(→amazon)
佐々木光雄編・吉岡一男編『宮城県の不思議事典』(→amazon)