水主衆

和歌山県の串本町橋杭岩

伊達家

鉄砲集団・雑賀衆が政宗の下へ「水主衆」末裔が3.11で観光客を救う

こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
水主衆
をクリックお願いします。

 

他国との交易でいち早く鉄砲や鉄を入手

雑賀衆は、元々は和歌山の紀ノ川河口部に住む海の民でした。

冗談のような鉄砲の所有数や高度な射撃技術。

あるいは石山本願寺織田信長を撃退し続けたこと等で大いに知られた存在ですが、そもそもは自治を守るため鉄砲で武装するようになった漁民達の集まりです。

織田信長
史実の織田信長はどんな人物?麒麟がくる・どうする家康との違いは?

続きを見る

雑賀の衆が早い段階から鉄砲を所有できたり、原材料となる鉄などを大量に確保できたのは、彼らが船で独自に交易をしていたからなんですね。

そのことからも彼らが「水主」としての腕も巧みだったことがわかります。

源義経同様、全国に「実は生きていた!」伝説がある孫一の事ですから真偽の程は分かりません。

しかし、元々、政宗公は一芸に秀でた人のヘッドハンティングが趣味……ではなく、他国や外国の優れた技術を自藩に導入する気概に溢れておいでの方でした。

孫一本人でなくとも、その親族や雑賀衆のメンバーなどが水主としてやってきて来ても不思議ではありません。

政宗公が松島の水主衆に求めたものは、単に船を操る腕前だけではなく、織田信長をも追い返したその戦闘技術と戦う気骨だったのではないでしょうか。

紀州征伐と太田左近
雑賀衆や太田左近の矜持~紀州征伐を強行する信長と秀吉に徹底抗戦だ

続きを見る

さらに政宗公は、支倉常長を副使とした慶長遣欧使節をスペインに派遣して洋式の軍艦を手に入れ、その操船を水主衆に任せて江戸を攻めるつもりだったのだとも言われます。

慶長遣欧使節
なぜ政宗は慶長遣欧使節を派遣した?帰国後の常長はどんな立場に?

続きを見る

小説などでも採用されることのあるこの設定、政宗公の長女五郎八姫の嫁ぎ先である松平家の家老職にあった大久保長安との密約と並べて「伊達政宗最後の野望」といった感じで良く使われます。

・スペインの無敵艦隊
・幕府の重臣で当代きっての富豪大久保長安との密約
・水主衆

時期的にも近いこれらの事物はいかに繋がるのか?

水練と戦の手腕に長けた水主衆は、実は江戸を攻めるための水軍として雇われた――政宗最後の隠し玉だったと考えると戦国ミステリーの妄想が説得力を伴って大いに膨らみますね。

 

400年来の操船技術で津波被害から守る

現在、松島には湾内の島々を巡る遊覧船のコースがあります。

政宗公はじめ代々の藩主が愛でた美しい景色を我々も手軽に楽しむことができるのですからいい時代であります。

竜や鳳凰など、煌びやかに飾り付けられた遊覧船は大層美しい。

湾内を一周すると、かつて他藩からの賓客を乗せて遊覧したという伊達家の御座船「孔雀丸」「鳳凰丸」に乗ったような気分になることができます。

実はこの遊覧船、3.11東日本大震災では海上にありました。

本震後も揺れ続ける海の上、船頭さんが見事桟橋に船を着けてくれたお陰で、津波が到達する前に速やかに観光客の方を避難させる事ができたのだそうです。

この船頭さんの中には現在も松島町の御水主町にお住まいで、13代目の水主衆として遊覧船の操船をなさっている方もいらっしゃいます。

400年も前(もしかしたらもっと前)から先祖代々受け継がれてきた技倆と生業で人を救うことができたなんて、すごいことだと思いませんか?

和歌山県の串本町橋杭岩

かつて紀州沖の逆巻く渦潮を乗り越えてやってきた人々が、その水練の手腕を今も現代に伝えている松島。

これからもこの町が、桃山文化華やかなりし頃を今に伝える町として残っていくことを願ってやみません。

あわせて読みたい関連記事

天才軍略家義経
軍略と殺戮の天才・義経~世界の英雄と比較して浮かび上がる実像とは

続きを見る

伊達政宗
伊達政宗の派手な逸話はどこまで本当か?史実の生涯70年を検証まとめ

続きを見る

エルトゥールル号遭難事件~親日国トルコと日本をつなぐ友情の架け橋

続きを見る

コメントはFacebookへ

織田信長
史実の織田信長はどんな人物?麒麟がくる・どうする家康との違いは?

続きを見る

紀州征伐と太田左近
雑賀衆や太田左近の矜持~紀州征伐を強行する信長と秀吉に徹底抗戦だ

続きを見る

慶長遣欧使節
なぜ政宗は慶長遣欧使節を派遣した?帰国後の常長はどんな立場に?

続きを見る

鈴木晶・記

【参考】
岩本隆『松島町郷土史夜話』(→amazon
佐々木光雄編・吉岡一男編『宮城県の不思議事典』(→amazon

TOPページへ

 



-伊達家

×