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【正月時代劇『いちげき』】
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救いのない世界を救うものは?
本作は、愉快でテンポよく進んでいくようで、不穏な要素が忍び込んできます。
武士たちは簡単に隊員を使い捨てにすると言うし、主人公のウシだって、いかに農民が虐げられてきたのかを理解している。
それに相楽総三の処刑状況も、わかりきっている。
だからこそクライマックスの金杉橋の戦いへ向かうところで、なんてものを見せてくれるのか、と憤りすら覚えました。
一体ここで何人死ぬことやら……。それなのに、なぜ彼らはこんなにもあっけらかんとしているのか。
思えばこのドラマは、主人公たちが常に悲惨な状況にいます。
殺人に慣れ、作業のようにこなしていくようになる様は、心理が崩壊していくことでもある。
その描写の生々しさは、歴史そのものの恐ろしさではないでしょうか。
武士の価値観に染まっていった結果、捕らえた相手を切腹しろと囃し立てるようになる。
殺すことが手柄を立てることだと思うようになる。
これは幕末から近代にかけて日本人が植え付けられていった価値観でもあります。
日本人は穏やかで暴力を振るわないというのは、表層的な話。
実際は、幕末から昭和まで、要人暗殺が天誅として罷り通ってきたのが日本史と言えます。
徴兵された兵卒にまで、武士道を叩き込んできた結果です。
一撃必殺隊の面々が殺人マシーンへと変貌していく様子は、徴兵制度の一面を写しとっているともいえる。
本作が、大河ドラマ『いだてん』と繋がっているとすれば、このあたりかもしれません。
あの作品では、民衆がオリンピックへと向かう様を、楽しみたい心に集約していました。
しかし、国家とは金を使ってまでスポーツを推進するほどお人好しではなく、実際、新渡戸稲造のように「あんなもの娯楽だ」と非難する知識人もいました。
それでも実施されたのはなぜか?
徴兵制度の導入と関係があります。
かつてのように一部の武士層だけでなく、民衆まで兵士に仕立て上げようとするならば、国民全員の肉体を頑健にする必要がある。
近代スポーツの勃興は、徴兵制が根付いたナポレオン戦争と切り離して考えることはできないのです。
『いちげき』に出てきた力石担ぎを洗練させたものが、『いだてん』に出てくるスポーツといえる。
そんなことを考えていくと、確かに歴史は連続しています。
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講談師が語る忘れられた物語
なぜ、このドラマは神田拍山さんが講談しながら進んでいくのだろう?
そんな疑問を持たれた方もいるかもしれません。
『いだてん』の落語は無理がありましたが、本作では必然の流れといえます。
明治維新の神話じみた話が、教科書や司馬遼太郎の小説、あるいは大河ドラマで語られる一方、薩長に生活を無茶苦茶にされた江戸っ子や百姓たちは何を考えていたか?
彼らには、彼らなりの誇りや物語がありました。
例えば、先祖が彰義隊で戦ったこと。
講談師や落語家は、時に政府に睨まれつつ、その目をかいくぐって語り続けました。
清水の次郎長とその子分たちの話も好例ですね。
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新選組は、維新志士からすれば宿敵だったにも関わらず、今に至るまで大人気です。
御一新だけじゃねえ――と語り継いできた物語だって、歴史の一部。
知られざる歴史として講談師が語る話として、一撃必殺隊の武勇伝はピッタリなのです。
美化された歴史に対する異議申し立てともいえる、尖ったスタンスですね。
講談の語りそのものに迫力があり聞き惚れてしまう。そんな日本の芸能を知ることもできて粋でした。
こうした描き方により、私たちは何か大事なことを忘れていたのではないかと思い至りました。
本作と同様に自由民権運動を作ってもよいかもしれない。
ウシたちの子や孫の世代が、さらなる自由を求めて戦う。それも日本の歴史ではありませんか。
一撃必殺隊は架空にせよ、幕末の諸隊には武士以外の人々で構成されたものがいくつもある。
にも関わらず現代の状況はどうでしょう。
現在、日本各地の観光地には、江戸時代の殿様や戦国時代の武士を顕彰する施設が多々あります。
しかし、自由民権運動を顕彰する施設は珍しい。
幕末の諸隊や、自由民権運動の活動家らの存在感が薄いのはなぜ?
幕末は一部の志士が成し遂げたように誘導されたのはなぜ?
名もなき彼らは何を思い、どう生きていたのか?
歴史というと英雄ばかりに注目が集まりがちですが、大多数の名もなき人々が通ってきた道だって重要なはず。
そうした見方を意識させるためにも、『いちげき』のように稗史(はいし・正史の対義語)目線のドラマは必要だと感じました。
時代を変えようと思ったら、SNSで「現代の坂本龍馬」を自称しても意味がない。
アイコンを高杉晋作にしても意味がない。
ひとりひとりが、ウシのようにいちげきを入れられるように考え、走っていくことが大事なのではないか――新年早々、そう脳天に一撃を喰らいました。
『いちげき』は歴史を学ぶ意義を再認識させてくれる、熱い傑作だったのです。
次のクドカン大河ドラマはあるのか?
宮藤官九郎さんは時代劇初挑戦とのことですが、舞台劇では既に経験があり、不得意でもないと思います。
本作を見て感じたのは、なぜ最初からこの手の題材で大河ドラマを書けなかったのか?ということ。
彼が手掛けた2019年の大河ドラマ『いだてん』は、ご存知、オリンピックがテーマでした。
宮藤さんの連載記をオリンピック期間中に目を通していたのですが、これは本当に『興味がなかったのだろう……』と感じました。
自身がやりたくないテーマだったら、力も発揮できないはず。そう思うと悲しくて仕方ありません。
スポーツに対する関心無関心の話というより、もともと彼は反骨精神を発揮できる題材でこそ本調子になれるのでは?と『いちげき』を見ていて思えたのです。
世の中を上から動かす、『いだてん』の主人公・田畑政治のような目線はあまり得意ではない。
東京オリンピックを描くにしても、選手目線ならまだよかった。
本作を見ていると、どうもそうとしか思えない。
稗史目線、民衆が歴史を見るような大河ドラマを、宮藤官九郎さんならできるのではないか?
古典芸能に造詣が深い彼は、庶民の生き様こそ得意とすると思います。
権力者ではなく、庶民目線の大河を手がけるのであれば、是非とも彼であって欲しい。
『いだてん』は彼にとって最初の大河ドラマであっても、最後のものではない。私はそう信じています。
最後に歴史的なツッコミをさせてください。
相楽総三のような豪農層と、ウシのような貧農層では、生活も価値観も大きく異なります。
繰り返しますが、相楽も、天狗党とつるんでいた渋沢栄一も、大義のためならウシたちのような連中を殺す側。
『青天を衝け』で博多華丸さんが演じた西郷隆盛がノホホンとしていて、それを渋沢が褒める場面がありましたが、あれはどう考えたって筋違い。
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一連の戊辰戦争だって、南北戦争で余った武器で一儲けしたいというイギリスの思惑に五代友厚らが乗っかったものです。
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その五代友厚と渋沢栄一がバディのような描き方をされていたのが『青天を衝け』です。
堅苦しく考えるなよ、エンタメなんだから……では済まされない。
済まされるのだとしたら歴史を学ぶということは一体何のためなのか。
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ゆえにこういう記事は、ちょっと突っ込ませてください。
◆『いちげき』がもたらす新年を照らすエネルギー 時代劇にハマる染谷将太×町田啓太に注目(→link)
以下の部分に注目です。
大河経験者コンビが演じるウシとイチが抱くのは、侍に対する強い劣等感、身分の差。
『青天を衝け』にも通ずるウシたちの不屈の精神は、新年に明日を生きるエネルギーをくれるはずだ。
渋沢とウシたちに通じるものなんてねえべした!
なすてそっだこど言うだ!
本年4月から高校の授業で始まる「歴史総合」――単なる暗記に走らない、いわゆるアクティブラーニングにより、近代史への造詣が深まることを願うばかりです。
◆新科目「歴史総合」が伸ばす、子の「問いかける力」 (→link)
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文:武者震之助
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
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