子供から大人まで魅了してやまない週刊少年ジャンプ『鬼滅の刃』。
主人公である炭治郎が、鬼に襲われ、かろうじて一命をとりとめた妹・禰豆子を背負うところから物語は始まります。
兄が妹を守る――。
この設定は、一見すると少年漫画やフィクションの王道であります。
しかし、禰豆子は今までのパターンを大きく打ち破る、極めて異色の存在でもあると思うのです。
2020年代を迎え、人々の生活、メンタルが急速にアップデートされてゆく最中に登場した、禰豆子がなぜ特別だと言えるのか。
物語上では12月28日に生まれた禰豆子を考察して参りましょう。
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
【冷蔵庫の女】ではない
【冷蔵庫の女】という言葉があります。
アメコミの『グリーン・ランタン』が語源とされていて、
「主人公男性の恋人女性が殺害され、冷蔵庫内に入れられていた……うおおおおおお!!」
そんなプロットのパターンです。
これに対して以下のようなツッコミがはいっているのです。
親しい女性が殺害され、それによって奮起するって……。
いちいち女を殺されないとダメなのか、いい加減にしろよ。
そういうパターンはもうやめよう。
ヒロインは男の生首掲げて戦わないのに?
わかりやすい殺害だけでなく、性的暴行や誘拐など、別のパターンもあります。
奪われたヒロインを救う展開など、それこそキリがないでしょう。
『鬼滅の刃』の禰豆子も箱の中で背負われていて、一見、典型的なこのパターンに思えます。
しかし、ご存知、彼女は強くなっていきます。守られるどころか、兄を守るため敵に対して蹴りを入れ始めるのです。
炭治郎は、大正時代の男児らしく、なんとしても妹を守ろうと考えています。
その姿だけをみると、典型的な少年漫画主人公になる。
けれども、『鬼滅の刃』はそう甘くありません。
禰豆子は箱の中から飛び出し、兄をも救う。それどころか、敵味方の判別をして強力な戦力となり、次第に、物語の鍵を握る存在へ成長していきます。
会話すらままならぬ禰豆子が、重大な役割を果たすのですね。
禰豆子のような妹キャラクターとして思い浮かべる中に『ゲーム・オブ・スローンズ』のアリア・スタークがおります。
初登場時はまだ幼く、家が滅亡し、逃げ惑う少女だったアリア。作品中で、鍛錬に鍛錬を重ね、最終局面の鍵を握る存在に成長してゆきました。
2020年代に求められているのは、まさにこんな妹ではないでしょうか。
強く、守られるだけの存在ではありません。
お兄ちゃん、いつまで妹萌えなんて言ってんの?
「妹萌え〜!」
今ではすっかりおなじみの概念――これはいつからのことなのか?
兄が妹に愛情を示すことは、古今東西あります。兄弟姉妹間の結婚ができた例もあります。日本でも、異母妹に愛情を示す歌もありました。
ここでは、あくまで漫画やアニメに絞りますと……。
2001年の『シスター・プリンセス』が契機となった作品と言えます。
現代においてはタブーとなった、妹への萌えを刺激する、画期的な作品とされております。
それから十年以上経過し、妹に萌えることは一ジャンルとして定着した感がありました。
ただし、2020年代に近づくにつれ、逆風が強まっていることも認識せねばなりません。
「#Metoo運動」は、多くの人々の意識を変えました。そういうものだと受け流されてきた性暴力を認識する女性も現れてきたのです。
SNSでハッシュタグ投稿をすることのない女性が、苦しげに新聞の悩み相談に投稿してくることもあります。
兄の性的な接触を、強引に受けていた。
我慢しなさい、黙りなさいと言われて耐えていたけれど、あれは暴力だったのではないか――。
「妹萌え〜」どころじゃない、えげつない現実を、そうやってごまかしているのではないか?
そんなトラウマを引き起こすトリガーとして認識されたら?
もう「萌え〜」でごまかせる話ではなくなります。いや、むしろそうやってお茶を濁してどうするのか。
禰豆子の生きた時代背景を考えると、生々しくおそろしい史実にもつきあたります。
都市部に密集する人口。
拡大する貧富の格差。
ストレスの溜まる生活。
家屋は狭苦しく、個室もなければ、鍵もかけられない。
そういう劣悪な環境に直面していた大正時代を生きた人々。逃げ場所のない家庭内で、ねっとりとした目線を兄から向けられたら……妹にとってはおぞましい恐怖でしかないでしょう。
そこをふまえますと、禰豆子は極めて慎重に描かねばなりません。
炭治郎が少しでも「きれいになったな……げへへ」という目線を向ければ、かつてないほど厳しい何かが発生しかねません。
炭治郎は、あくまで家長、長男として妹を守る―くどいほどにそう言います。
愈史郎から醜女と呼ばれたら反論するけれども、そこまでしつこくは妹の容姿にふれない。
禰豆子が成人女性の姿となり、胸元を露出しようと、ドキドキしているわけでもない。
炭治郎がストイックで綺麗事を言ってばかりのいやな優等生に思えるとしたら、それは自分の見る目に何かあるのではないかと考えた方がよいかもしれません。
『鬼滅の刃』を読んで育つ若い読者は、意識を変えてゆきます。
そんな読者に、かつての「妹萌え〜」について語ったら、相手は呆れ返った炭治郎のような顔になるでしょう。
時代と意識のアップデートを受け入れねばなりません。
妹に萌えられないことは、兄にとってはつまらないかもしれません。けれども、妹にとっては兄の変な目線を気にせず生きることは、きっとよいことなのですから。
禰豆子を愛でるように、現実世界の妹たちを愛でましょう。
※続きは【次のページへ】をclick!