日本中世史のトップランナー(兼AKB48研究者?)として知られる本郷和人・東大史料編纂所教授が、当人より歴史に詳しい(?)という歴女のツッコミ姫との掛け合いで繰り広げる歴史キュレーション(まとめ)。
今週のテーマは「織田信長さらには源頼朝や足利尊氏などを振り返り、歴史は【ウラを読む】ことも肝要也」です!
【登場人物】
本郷和人 歴史好きなAKB48評論家(らしい)
イラスト・富永商太
ツッコミ姫 大学教授なみの歴史知識を持つ歴女。中の人は中世史研究者との噂も
イラスト・くらたにゆきこ
◆今週の本棚・この3冊 織田信長 本郷和人・選 毎日新聞 6月19日
姫「へええ、それを取り上げちゃうわけ?」
本郷「うーん、他に大きなニュースもなかったしね。まあ、この短い文章を書くにはものすごく苦労したし、もう少し説明させてもらおうかな、と」
姫「何についてもう少し説明を加える、っていうの?」
本郷「うん。織田信長は時代の改革者ではない、ということについての反論だね」
姫「なるほど、なるほど。あなたはあくまでも、改革者なんだ、と解釈するわけよね。けれども、東洋大学の神田千里先生は革命児にあらず、と主張している」
本郷「はい、そういうことです。まずはじめに断っておきたいのは、ぼくは神田さんをとても尊敬している、ということなんだ。神田さんはぼくよりも11歳年上の先輩にあたる。大学の研究室のみならず、高校も一緒なんだね。いや、もちろん、単に学校が一緒だったから尊敬しているなんてことではなくてね、学問に対する姿勢だな。50歳を過ぎてからポルトガル語を習得して、宣教師が書いた資料を自分で読んでみようとする。そういう態度には、本当に頭が下がるね」
姫「まあ、あなたはずぼらな怠け者だからね~。爪の垢を煎じて飲むといいわ」
本郷「そうだね(苦笑)。だけど、それと、学問的な達成とは話が違う。はっきり言って、ぼくには神田さんのおっしゃることが理解できないんだ」
姫「神田さんの主張は理論的に難解なんじゃないの?それで、あなたは頭の働きがにぶいから、それが理解できないってことじゃないの?」
本郷「いやいやいや。神田さんの主張はとてもシンプルでね、それが理解できないってことはさすがにない。これ以上ないくらいシンプルだから」
姫「へー。それはどういうものなのかしら?」
本郷「信長についての資料を読みましょう。そして、それに従って信長像を描き出しましょう、っていうこと。神田さんの主張はそれに尽きるといってもいい」
姫「あらあらあら。至極まっとうじゃないの。必ず資料に基づいて、歴史像を組み立てよう、ということは、あなただってしょっちゅう言うことでしょう?そうそう、『ウラを取りましょう』だったわね」
本郷「うん。そうだよね。『ウラを取る』。新聞記事を書くときにも、裁判を行うときにも、『ウラを取る』ことが大切だよね。それと同様に、実証的に歴史解釈を組み立てることは、歴史学の根本だといえる。そこまではいい。反対のしようがない。だけど、資料に基づく『だけ』ではやっぱりダメなんだ」
姫「実証的な歴史学っていうのは、そういうことなんじゃないの?それに加えて、いったい何が必要なの?」
本郷「資料を読む。その読み方いかんで、研究者の力量が問われるんだ。ええとね、へんな例を出すよ。夜のお店に行ったとしよう。おネエさんのいるお店だ。そこでお酒のお相手をしてくれた美しいおネエさんに『あなたって、すてきね。私、あなたみたいな方、大好きよ。また来週も来てね。必ずよ。プレゼントを持ってきてくださったら、なお一層うれしいわ』なんて言われたとする。うわあ、うれしいなあ、オレ、もてもてじゃん、って次の週に貯金はたいて、ブランドのバックかなんか買い込んで出かけたとしたら、どう?」
姫「うわあ、きもーい。いたーい。よりにもよって、へんな例ねー。ちょっと前の野村監督じゃないけれど、♪バッカじゃなかろかルンバ、よ」
本郷「トシがばれる、トシがばれる(笑)。でも、そうでしょ。バカでしょ。そのおネエさんはあくまでも仕事だから、『あなた、すてきね』って言うわけだよね。それを真に受けてどうするんだ、っていう話なんだよ」
姫「そんなこと言って。あなたみたいにモテない人は、結構ころっとだまされて、お金をいっぱい使っちゃうんじゃないの?」
本郷「うん、前にちょっとね、って・・・いや、そういう話じゃないんだ。いいですか、人の言葉であっても、それが紙に記された文書でも、うわっつらを読んだだけじゃダメだっていうこと。『眼光、紙背に徹する』じゃないけれど、『ウラを読む』ってことをしっかりやらないと、本当の意味は分からないよ、って言いたいんだな、ぼくは」
姫「『ウラを取る』の次は『ウラを読む』ね。なるほどね。そうか、それで徳川家康の『秀吉さま亡きあとも、秀頼さまに忠節を尽くします』の起請文が、記事には例として用いられているわけね」
本郷「そうなんだ。文書上では、家康は、秀頼をもり立てていく、って誓っている。これは、文書上は、どうやって読んでもそういう意味にしか取れないよね。だけど、家康が本当にそう思っていたかというと、まるで違う。豊臣家から天下人の座を奪う気まんまんだったわけでしょ。家康は明らかにウソを書いているんだ」
姫「信長についての資料も、字面だけではない、『ウラを読め』ってことなのね」
本郷「そのとおり。たとえば信長は将軍や天皇に従順な姿勢を見せている、文書からはそう読み取れるから、信長は旧弊な権威に逆らうつもりはまるでないんだ、って神田さんは説く。だけれどね、それを言うなら、源頼朝も足利尊氏も、『私は朝廷のやり方が気に入りませんから、あなた方をやっつけます。新しく武士の政権を作りますよ』なんて全くもって言ってない。『私は後白河上皇のお心に従います』とか『私は後醍醐天皇が大好きです』と言っているんだ。まあ尊氏は本当に後醍醐天皇が大好きだったみたいだけれど、それはあくまで心の中。大きな視野で見たときに、頼朝も尊氏も武士の勢力の伸張をはかり、朝廷の力を大きく削っている。世の中の仕組みを変えているわけだね」
姫「なるほど。文書の字面だけ見ていたら、世の中を変えた人なんて、誰もいないことになっちゃうわけね」
本郷「唯物史観の立場からすると、一人の人物が歴史を変えるなんてあり得ないから、それでもいいのかな。それこそが彼らの思うつぼなのかな。いや、ぼくも頼朝や尊氏や信長という個人が歴史を変革したっていう見方は取らないけれども、少なくとも彼らは、世の中を変えようという意図を持っていた。そう思う。そして、これが大事なことなんだけれど、江戸時代の昔から、歴史の大局を見た学者たちは、そういうふうに『ウラを読んで』資料を解釈してきたんだ」
姫「江戸時代、ときたわね。たとえばだれ?」
本郷「代表的なのは、新井白石だね。『読史余論』にその歴史観はよく出ている。あ、もっと前の人を忘れていた。南北朝時代の公家、北畠親房がそうだ。もちろん『神皇正統記』だね」
姫「明治時代になって、近代的な歴史学が始まってからも、そうなのね」
本郷「うん。今までの人がそうだから、それに従わなくてはいけないということではない。すべてをひっくり返すことだって、あっていい。だけれど、『信長は革命児にあらず』論の資料の読み方は、はっきり言って、あまりにも幼稚だと思う。先学が『ウラを読ん』で達成してきた成果を台無しにしてしまう暴論のような気がするんだよね」
姫「ずいぶん極端な言い方をするのね」
本郷「いや。ぼくはものすごく怖れているんだよ。だって、若い人の資料の読み方は、全く『ウラを読む』ことをしないものが多すぎる。それによると、たとえばだけど、天皇の権威に立ち向かった人物なんて誰もいない、っていうことになっちゃうんだ。室町王権論のわかりやすさ、もっと率直にいうと幼稚さを見てごらんよ。私は資料に基づいているから正しいんです、なんて威張ってる人は、夜のお店に行ってだまされておカネを搾り取られて、人生を勉強してくるべきだね。だけど、わかりやすいもんだから、こういう論は勉強してない人の支持を集めやすいのも事実なんだ。こんなに『考えるのが苦手』な研究者ばっかりで、大丈夫かね、この業界は、って言いたくなる」
姫「うーん、そうねえ。まあ、あなたが心配することじゃないわよ」
本郷「ごもっともさまで」