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【江戸時代の三くだり半】
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研究者の高木侃氏によると、なんと1/4強、つまり25%以上が
「離婚の理由なし」
なんだそうです。
次に多いのが前のページで紹介したように「我等勝手ニ付」、つまり「私の勝手で」という理由です。
以前はこの部分をとらえて「江戸時代、夫は妻を何の理由もなく勝手に離婚させることができた」と解釈されてきました(「夫専権離婚」)。
それが「夫が離縁状をたたきつけ、妻が泣く泣く家に帰る」というイメージにつながったわけです。
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相手を気遣って理由はゴニョゴニョ
ところが、高木氏をはじめとする多くの研究により、江戸時代の離婚のイメージは大きく変化しました。
江戸時代は夫婦両方の家で話し合い、円満離婚を図るのが一般的であり(「熟談離婚」)、理由を書かないのは「書くべきではない」という考え方があったのだ、とされるようになったのです。
したがって「我等勝手ニ付」も「当方の都合で」という意味になります。
現代でもタレントなどが離婚をする、という記事が出ると、だいたいは「すれ違いが生じた」とか「性格の不一致」とか、抽象的な言い方をしますよね。
会社や職との「離婚」ともいえる辞表も理由については「一身上の理由」として、なにがあっても、どんなにブラック企業であっても、具体的な理由は記されないのが決まりです。
江戸時代でも表向きには抽象的にしておくべき、との考えがあったということです。
とんでもない悪女にされたら再婚でけん
では、なぜ理由をはっきり書かないのか?
これを別の視点からもう少し考えてみます。
たとえば、理由が書かれているものの中には「妻が家出をし、自分勝手に私の悪口を言っている、さらに離別してほしいと言っているから離縁する」というものがあります。
この理由からイメージされる妻は「家出」「自分勝手」「悪口」ととんでもない悪い女です。
正直なところ、このような女性と結婚したい、と思う男性はほとんどいないのではないでしょうか。
しかしそれでは、この女性が再婚することはできません。
そうなると実家に戻って、一生「厄介者」として生活するか、自分で働くしかないわけです。
つまりは再婚ができない、ということはそのまま、その人の人生の選択肢を狭めることにつながりました。
三くだり半に離婚理由をはっきり書かない、ということは、その後の双方の人生を守るためにも必要なことだったのでしょう。
かつては愛し合った相手へ、最後の愛情というところでしょうか。
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文:川和二十六
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