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衣装化粧代の他に薪・炭・油に家政婦代も
「江戸幕府が傾いたのは、大奥に金がかかりすぎたからだ」なんて言われることもあります。
では、実際にどれぐらいの給料が支払われていたのか?
というと、基本給はそれほど高くはありません。
大奥の人件費がかさんだ一番の理由は、あまりにも手当が厚かったからです。
大奥の女性には、衣装・化粧代や、個人的な使用人を雇う費用、薪・炭・油といった生活必需品も支給されました。
現物支給もあったので換算は難しいところです。
が、現代にムリヤリ置き換えるとすると、
・基本給
・服代
・化粧代
・水道光熱費
・家政婦を何人か雇えるお金
と言ったお金が支払われたという感じでしょうか。ずいぶんリッチな暮らしができそうですよね。
また、将軍や御台所によっては下賜金を与えたり、御台所のお古の着物をもらったりすることもあったようです。これは不定期のボーナスですかね。
当然、身分が上がるほど基本給も手当も増えていきます。
どんぶり勘定の退職金が大きかったが……
さらに大奥の費用がかさんでいった理由は、退職後の女性にも「給料が一生」支払われていたからです。
退職金を一度にポンと渡すのではなく、一生定期的に給料・手当を出していれば、そりゃ経費がかさんでいきますよね。
しかも、現代のように後から経費として精算するのではなく、予め「この役職ならこれくらい必要だろう」という大雑把な見積もりで支払われていたので、元々の設定がかなりの高額でした。
こういった理由で、大奥の費用は莫大なものとなっていったのです。
乱暴に言えば「どんぶり勘定過ぎて経営が危なくなった」ことになります。
さすがに幕末は見直しが図られ、老中・阿部正弘が「ごめん年金払えなくなった」(超訳)として、退職後の給料はとりやめています。
阿部正弘が有能すぎたから死後に幕府崩壊が始まった?勝を抜擢した老中の実力
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こんな感じで、大奥は「生活上の制限はありながら、能力に長けた女性なら良い暮らしができる」場所でもありました。
御台所や側室になるのは無理にしても、「よく知らない相手と結婚させられるよりは、大奥でお勤めして良い暮らしができるほうがいいわ」と思っていた人も結構いたんじゃないか……という気がしてきますね。
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長月 七紀・記
【参考】
山本博文『面白いほどわかる大奥のすべて―江戸城の女性たちは、どのような人生を送っていたのか』(→amazon)
山本博文『大奥学事始め―女のネットワークと力』(→amazon)