明治時代に、さまざまな西洋文化が入ってきた――歴史の授業でもお馴染み【文明開化】であります。
その中には今なお使われているもの(前身)があったり、はたまた時代の流れとともに消えていったものもあり……。
明治時代の衣食住は以下の記事に譲りまして、本稿では明治時代の鉄道・ガス灯・電気について見て参りましょう。
明治時代の「衣食住」に注目!江戸時代から何が変わり何が流行った?
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鉄道の起源は江戸幕府 ペリーが模型を献上
鉄道は商業&経済を目的として作られる――。
と、これはあくまで現代的な視点であって、明治時代は軍事目的と大きく関係しておりました。
そもそも鉄道の構想が導入されたのは江戸時代の後期です。
幕府はいくらかのツテで「西洋には鉄道というものがあって、これこれこういった目的で使われている」と情報を入手していました。
その後、ペリー来航の際に鉄道の模型が将軍への献上品として横浜に持ち込まれ、試運転されたこともあります。
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また、長崎ではロシア艦隊からもたらされた模型を元に、自国内での模型製作をしていました。
この時点では、鉄道そのものよりも
「蒸気機関を研究して、より高度な軍艦を作れないか」
という目的が強かったようです。
そのため薩摩藩や福岡藩が模型を作ったり、長州藩・加賀藩が機関車の模型を購入したり……と、密かに関心を集めていました。
積極的に西洋文明を先取しようとした島津斉彬の姿は大河ドラマ『西郷どん』でも描かれておりましたよね。
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いずれにせよ明治時代に突然ポッと出てきたものではなく、幕末の遣米使節や遣欧使節が実際に鉄道へ乗車したことにより、
「これを日本に導入できれば、様々な面で役立つのではないか?」
と考えられるようになっておりました。
インドで実績あった英国式鉄道を取り入れる
そして江戸幕府も単にアイデアだけではありませんでした。
鉄道建設計画を立てており、この頃出入りしていた外国人からも、具体的なプランが提出されていたのです。
残念ながら、その前に徳川慶喜によって大政奉還を迎え、幕府自体が消滅してしまうので、実現はしませんでしたが……。
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一方、計画を携えた外国人たちは、明治政府にも似たようなものを提出しています。
そこで新政府がパートナーに選んだ相手はイギリスでした。
駐日イギリス公使のハリー・パークスとの間で打ち合わせが行われ、明治二年に建設が決定されるのです。
当時のイギリスが、既にインドで多くの鉄道敷設を経験していたのが導入の理由でした。
ただし、立ち上がったばかりの明治政府には資金が乏しく、内部からの反対意見も根強かったとか。
実際、やることが多すぎてお金がいくらあっても足りない状況でしたし、全く新しいものを導入するときって「そんなことにお金をかけるなんてムダ使いだ!!」という意見が強いものですよね。
そこで政府は外債(外国からの借り入れ)で資金をまかない、そんなこんなで完成したのが明治五年(1872年)。
新橋~横浜間で日本初の鉄道が開業したわけです。
その後は断片的に開通されており、以下のリストにしてみました。
当時は、都市同士や市街・港を結ぶだけで、国内全体や地域間の移動手段としては、まだまだ役割を果たせていませんでした。
そこで、意外な出来事が鉄道の後押しになります。
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実はこのとき、鉄道による陸上輸送の利便性が実感できたため、陸軍が鉄道建設に積極的になっておりました。
国が本腰を入れると、民間でも注目を集めますし、事業家たちが投資を始めます。
そんな流れで、明治二十年前後には私鉄も増え、官営(国営)鉄道よりも私鉄のほうが営業距離が長くなったほどです。
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