青函連絡船

明治・大正・昭和

知られざる連絡船の歴史~島国ニッポンを繋いだ海の渡し船たち

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連絡船の歴史
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まだまだあるぞ連絡船!中には現役選手も

さて、旅客利用ができる船といえば「フェリー」もありますよね。

広い定義だと「観光目的ではなく、日常的に貨物や交通に使われる船」をフェリーと呼ぶそうなので、青函連絡船もフェリーに分類されます。

「カーフェリー」だと乗用車の運搬が可能なことなど、条件が増えます。

こちらのほうが現代の一般的なフェリーのイメージに近いでしょうか。

広い方の意味だと、”矢切の渡し”などの渡し船も入れられなくもないですしね。「渡し船」のほうが日本らしさというか、趣があるような気もしますが。

フェリーの中で、青函連絡船のように鉄道の車両を運ぶものを「鉄道連絡船」といいます。

海や湖などの自然条件によって、直接線路を作ることが難しい場合に、最短経路を結ぶ船のことです。

青函連絡船のように廃止した路線もありますが、現役の路線もまだまだあります。

廃止されたものも含めて、一部を見てみましょう。いずれも旧国鉄やその関連機関の運営によるものです。

 

・吉野川連絡船(徳島県)

徳島に鉄道ができたとき、やはりネックになったのが吉野川という大きな川でした。

いわゆる暴れ川の一つであり「四国三郎」とも呼ばれるほどの川ですから、ちょっとやそっとの橋では渡れなかったのです。

そういった橋を架ける費用が捻出できなかったため、船で連絡するようになったのが始まりだそうで。

元がそんな経緯なので、橋が架けられてバスの運行が始まるのとほぼ同時期に役目を終えました。

だいたい20年くらいの運用でしたので、船の寿命と同じくらいでしょうか。

 

・関門連絡船(下関~門司)

こちらは明治三十四年(1901年)~昭和三十九年(1964年)までの長期間に渡り、本州と九州の接続航路として運行されていました。

青函連絡船と同じく、貨物の積み替えが煩雑ということで設けられた路線です。

昭和十七年(1942年)に関門トンネルが開通してからも、二十年以上に渡って旅客輸送に使われました。

最終的にはやはり民間の船やバスへの移行が進み、廃線になっています。

 

・稚泊(ちはく)連絡船(稚内~大泊)

樺太が日本領だった頃、北海道・稚内と樺太・大泊を結んでいました。宗谷海峡を繋ぐ、ともいえます。

この海域は流氷によって航行不可能になることも考えられたため、そういったときでも進める”砕氷船”が用いられました。

ときには氷上で荷物・乗客の積み下ろしをしたこともあったそうで。怖っ!

戦時中も樺太へ移り住んだ日本人の足として使われていましたが、終戦直後のソ連の侵攻によって廃止に追い込まれます。厳密には休止扱いだそうですが、この70年間の動きを見ると……。

稚泊連絡船は、あの「砕氷船・宗谷」とよく似た名を持つ砕氷船・「宗谷丸」が就役していた路線でもあります。

稚泊連絡船に就役していた船の多くが、ソ連侵攻から命からがら引き揚げる日本人を多く運びましたが、昭和二十年(1945年)8月24日の最終便を担ったのが宗谷丸でした。

宗谷
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宗谷丸は稚泊連絡船が廃止された後、訓練船や石炭輸送船として働き続け、昭和四十年(1965年)に退役。

元軍籍で南極観測船となったほうの宗谷ほどではありませんが、宗谷丸は昭和七年(1932年)竣工ですから、船としては結構長持ちしたほうかと思われます。

砕氷船という激務を考えればなおのことです。船が「宗谷」の名を戴くと、良い結果になるものなんですかね。

 

・仁堀連絡船(呉~松山)

こちらも国鉄によって運営されていた鉄道連絡船ですが、乗客・貨物の減少ではなく、赤字を理由に廃止されています。

元から便数が少なく、鉄道連絡船なのに港と駅の乗り継ぎが不便すぎたため、利用者増加に結びつきませんでした。

 

・宮島連絡船(廿日市~宮島)

宮島=厳島神社との間を結ぶ船として、江戸時代から似たような航路の船が出ていました。ある意味、日本屈指の歴史を持つ連絡船ともいえます。

明治時代には私企業が運営していたのですが、その後やはり国鉄運営となりました。現在もJR西日本宮島フェリーとして運行しています。

現在は大鳥居を間近に見られる「大鳥居便」を設けており、観光船としての役割も持っています。

大鳥居便は結構迂回するようなのですが、所要時間は通常便と同じなんだとか。操縦士さんの腕の成せる技なのでしょうか。スゴイ。

乗り物酔いをする人にとっては船旅というのもなかなかキツイものですが、鉄道や飛行機とは違う眺めを楽しめるのもまた事実。

展望目的で交通手段を選ぶのも、たまにはいいかもしれませんね。

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長月 七紀・記

【参考】
『鉄道連絡船のいた20世紀 (イカロスMOOK)』(→amazon
函館市青函連絡船記念館(→link
青函連絡船/wikipedia
フェリー/wikipedia
吉野川連絡船/wikipedia
関門連絡船/wikipedia
稚泊連絡船/wikipedia
仁堀連絡船/wikipedia
宮島連絡船/wikipedia

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