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【柿本人麻呂と小野小町】
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【猿丸大夫】
百人一首5番
奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋はかなしき
【意訳】「どこか山奥で鹿が鳴いている。きっとひとりで散った紅葉を踏みながら歩いているのだろう。物悲しさが身に染みる季節だなあ」
秋は来ぬ 紅葉は宿に 降りしきぬ 道ふみわけて 訪う人はなし
【意訳】「秋が来て紅葉が降り積もるような季節になったが、訪ねてくれる人もない我が家である」
【蝉丸】
百人一10番
これやこの 行くも帰るも 分かれつつ 知るも知らぬも 逢坂の関
【意訳】「これが有名な”逢坂の関”か。知り合いも見知らぬ人も顔を合わせては別れていく、というのは本当なのだなあ」
世の中は とてもかくても 同じこと 宮もわら屋も はてしなければ
【意訳】「宮殿だろうと藁小屋だろうと、いつか無くなるのだからどこに住んでも同じことだよ」
簡単シンプルだけに心に響く
ワタクシめも◯段活用とか何形のナントカとかを暗記するのは苦手でした。
しかし、それでも何となく訳せるような平易な歌が多いのがこの四人の共通点のように思われます。
こうして並べてみると、各人の好みや価値観も少し判る気がしますね。
小町は女性らしく美しさや恋に関心が高いのに対し、蝉丸の無常観に近いものの見方は僧侶説が有力なのも頷ける話です。
この中では人麻呂だけ万葉集時代の人ですので、いわゆる「ますらおぶり」(おおらかでダイナミックな歌風)が際立ちますね。
猿丸太夫は正体不明振りから「詠んだ人がわからない歌をまとめたんじゃね?」ともいわれているものの、秋の歌が多く好きな季節だったんだろうなというのが窺えます。
こうやって暗記抜きで眺めてみると和歌も面白く思えてくるのではないでしょうか。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
猿丸太夫(→link)
蝉丸(→link)
やまとうた(→link)