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【源義経】
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戦乱で巻き込まないよう京都を離れる
コトここに至っては大規模な衝突は避けられない状況。
むろん、事前に、義経が命を惜しむか、頼朝に完全に服従するという考えがあれば、出家だけで何とかなったかもしれません。
しかし実際にはそうなりません。
頭に血が上ってしまったのか。
連戦連勝で調子に乗っていたのか。
武士の誇りを捨てられなかったのか。
鎌倉では義経討伐の準備をしていたものの、逆に頼朝追討の院宣が出されたことを知り、準備が整った軍を京都へ急行させます。
そのため公家や京都の市民たちは「今度は源氏同士の戦で都が燃やされるぞ!」と大混乱に陥りました。
【保元の乱】や【平治の乱】辺りから武士の実力行使を見せつけられていた京の人々は、老いも若きも貴きも賤しきも、「武士が来る=自分の家が燃やされる」と思ってしまっていたのです。
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義経は「俺がここにいては、関係ない人たちを巻き込んでしまう」と考え、自ら京を離れることを決めました。
話が前後しますが、義経の人気が高く、“判官贔屓”という言葉ができたのも、この「京都を巻き込まないために自ら出ていった」というところが大きいように思えます。
戦功を上げた武士はこの時代にも多々おりながら「他者の存在を意識し、被害を防ぐ」ことまで考え、実際に行動したのは義経くらいですから、そりゃ支持しますわ。
もちろん感情的な理由だけでありません。
既に頼朝の支配力が京都周辺にも及び始めていて、都の周辺で義経に味方してくれる人がいなかった……というのもあります。
ただ、この段階では義経もまだ命までは諦めてはおりません。
九州行きを模索するも嵐で難破
義経は、まだ頼朝の手が及んでいないであろう九州行きを模索しました。
九州の人々は古来から「隼人」と呼ばれ、平安時代初期までは朝廷に対して反旗を翻すこともたびたびある土地柄。
「彼らなら味方になってくれるかもしれない」
そう希望を持っても不思議ではありません。
そこで、後白河法皇に頼んで九州の地頭に任じてもらい、船で向かおうとしましたが……嵐で難破してしまい、わずかな手勢ですら散り散りに。
その後は結局、頼朝方の追手をかいくぐって奥州へ向かいました。
側室・静御前との別れや、歌舞伎「勧進帳」などはこの逃避行の中での話です。
この間、奥州からずっとついてきていた佐藤兄弟も追っ手に破れ、討ち死にしてしまいました。
奥州に着いてからは、まだ藤原秀衡が存命中だったため、しばらくの間はかくまってもらえたようです。
しかし、文治三年(1187年)になると、奥州にいることが頼朝にバレ、奥州藤原氏への圧迫が強まります。
そして秀衡が亡くなると、跡を継いだ泰衡が圧迫に屈し、衣川の館(現・岩手県西磐井郡平泉町)で義経を討ってしまいました。
義経の最期は衣川の戦いで~奥州藤原氏に見限られて自害に追い込まれる
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1189年のことで、享年31。
孤児同然だった義経が、武士らしくなれた場所である奥州で非業の死を遂げる――何とも皮肉めいた運命であり、悲劇としかいいようがありません。
★
当時の人々もそのように感じたのでしょう。
特に文化の中心地であった京では義経の人気が高く、『義経記』などの説話や生存説などが作られ、語り続けられました。
源氏の内輪揉めはお家芸レベルの頻発ぶりですが、義経に関しては「ここでこうしておけば」という点が特に目立つだけに、何ともやるせないものです。
仮に義経が頼朝と和解していたら?
たとえそうだとしても、その後、源範頼に謀反の嫌疑がかかった際の尖兵にされた可能性や、北条時政や北条義時らの北条氏との対立は避けられず、政治力に敗れて排除されていたかもしれません……切ないですけれど。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
福田豊彦/関幸彦『源平合戦事典』(→amazon)
歴史群像編集部『決定版 図説・源平合戦人物伝』(→amazon)
源義経/wikipedia