コーエーテクモゲームスの『真・三国無双』シリーズでは、甄姫として2001年の『2』に初参戦。
セクシーな衣装と笛を使うキャラクターとして登場し、夫の曹丕(そうひ)と協力して戦います。
その後も多くのゲームに登場し、知名度も高い女性ですが……そんな身分もある女性の死因がハッキリしないうえに、「夫の曹丕に殺されている」のですから恐ろしい話ではありませんか?
そもそも甄皇后は袁紹の子・袁煕(えんき)の妻でした。
しかし、袁紹が【官渡の戦い】で敗北したため危難が迫り、建安9年(204年)、彼女が潜む鄴(ぎょう)の地も、曹操の手に落ちました。
そこで彼女を見つけたのが曹操の嫡男である曹丕(そうひ)です。
甄皇后の美貌に惹かれた曹丕は彼女を妻とし、後の魏明帝・曹叡(そうえい)を産みました。
そして彼女は後に文昭皇后甄氏(ぶんしょうこうごうしんし)と呼ばれることに――。
結果だけ見れば皇帝の子を送り出し、シンデレラストーリーかのようにも思えるのですが、夫・曹丕に死を賜っているのは前述の通り。
いったい彼女はなぜ死なねばならなかったのか?
今なお謎多き三国志ミステリの一つを考えてみます。
甄皇后 謎の死
太子・曹叡の母である甄皇后。
幼い頃から聡明で、謙虚で、控えめで、美貌もあった。そんな彼女がなぜ死んだのか?
被害者も加害者も明らか。
加害者:曹丕
被害者:甄皇后
されど動機がわからないから三国志ファンを悩ませ、特に陳寿の記述がそっけないため、後世の人間は「異議あり!」とつきつけてきました。
例えば裴松之はこう考えました。
裴松之
死去についての記述があまりにもそっけないのはなぜか?
陳寿が嘘をついているからです。
魏がこれを大罪であるとすれば、隠蔽することでしょう。些細なことだと思えば、美辞麗句で飾り立てて誤魔化す。
この場合は後者……この記述には嘘がある!
裴松之がこのように指摘すると、後世の人々がどんどんと話を膨らませてゆきます。
推理①
郭皇后による女のバトルです。
寵愛を争い、相手の悪口を吹き込んだ。信じ込んだ曹丕が惨殺したんですね。
よくある女の嫉妬ですよ。
推理②
嫉妬は嫉妬でも、この詩をご覧ください。
曹植の『洛神賦』……曹植は義理の姉に恋心を抱き、相手も心惹かれたんですね。
曹丕からすれば、これは許せないわけです。
推理③
口封じではありませんか?
曹叡の生年はハッキリしていません。つまり、甄皇后の前夫・袁煕との子かもしれない。
そのことを知る母である甄皇后は、死なねばならなかったのです……。
いずれも興味深いですね。
曹丕の殺害動機は外戚排除か
こうした先人の推察を読み解くうちに、私なりにひとつの説を推理しました。
こちらです。
筆者なりの推論
曹丕は後漢の外戚政治を問題視していました。
この問題解決はカンタン。最初から排除しておけば起こりません。
つまり、太子の生母を殺せばいい。
そして皇后には、バックボーンの薄い(政治力の弱い)一族の者を選ぶ。
随分と殺伐とした推理と思われるかもしれません。
我ながら書いている時点で気分が悪くなってしまいましたが、もちろん当てずっぽうな妄想でもなく、根拠の一つとして注目したのが曹丕の詔です。
彼は以下のような【外戚政治根絶宣言】出しておりました。
曹丕の詔
家臣の皆さん、政治のことを太后に相談してはいけません。
皇后の一族を、政治的な要職につけてはいけません。
天下一丸となって、外戚政治を根絶しましょう!
外戚の影響力はどんな王朝にも見られること。ときに王の政治を圧する……にしても、さすがに殺すのはやりすぎではないか?
そんな指摘もわかりますが、中国史においての実例は少なくありません。
外戚政治、合理的な排除手段の例
外戚政治を排除するためにも、太子、つまり未来の皇帝の母を殺しておく――。
嫌気がさしてくる手段ですが、その実例を見てみましょう。
漢・武帝
鉤弋夫人こと趙婕妤(昭帝の母)に死を賜る
武帝には、様々な家庭的な不幸がありました。
「巫蠱の獄」により、戾太子・劉拠とその一族を冤罪で処刑してしまったのです。
太子亡き後、残された末子はまだ幼い。幼帝が即位し、若い母である太后がいるとなると、呂后(漢高祖劉邦の后・呂雉)のような政治的混乱が起こりかねない。
そう警戒し、死を賜りました。
呉・孫権
潘淑(太子・孫亮の母)、殺害される
罪人の娘であった潘皇后は、その美貌から孫権の寵愛を受け、後の呉の皇帝・孫亮を生みました。
しかし、彼女は孫権の看病に疲れて寝込んでいたところを、殺されてしまいます。
性格的に問題があり、恨みをかっていた。そんな動機説明がありますが……。
彼女は孫権の夫人の中でも最年少。呂后の統治について家臣に尋ね、政治参加への意欲を見せていたのです。
南宋・胡三省は「幼帝即位後、外戚政治が起こることを危惧した家臣による暗殺だ」という説を提唱しています。
呂后による政治研究は、確かに危険です……。
北魏・道武帝
宣穆劉皇后(明元帝の母)、死を賜る
このとき、太子とされた明元帝は「子が偉くなると母が死ぬのか……」と嘆きに嘆いたのですが。
北魏・明元帝
明元密杜皇后(太武帝の母)、死を賜る
「大局を顧みるため」と、息子に対しても同じことをしました。
いかがでしょう。
トロッコ問題じみた思考回路ですが、ここまで実例があるとやはり甄皇后の死因として「外戚の排除」という問題がありえるのではないでしょうか。
それに曹丕には動機もあります。
卞皇后の言葉には逆らえぬ
曹丕の生母にして、曹操の妻であった武宣皇后卞氏。
曹操は、彼なりの理由があって彼女を正妻にしたとも考えられます。
最初の正妻・丁氏は、親族単位でつきあいのあった女性でした。そして彼女との離婚後、謙虚で聡明、かつ歌妓出身で「有力な後ろ盾のない卞氏」を選んでいるのです。
万事控えめで、そのことが曹操を引き付けていた卞氏。そんな彼女も、強く意見を主張したことがあります。
曹丕と曹植が立太子問題で対立した際、曹植を殺さないでと身を挺すようにかばったのです。
邪推であると前置きした上で言いますが、これには曹丕が『母さえいなければ、曹植一派を根絶やしにできた……』と考えてしまった可能性は否めないでしょう。
実際、曹丕の怨恨に関係なく、この後継者問題はやはり禍根を残しております。
曹植本人は命を奪われなかったものの、彼を推薦した家臣には犠牲者が多数出たのです。
犠牲者数だけで考えれば、やはり母なり妻なりを黙らせることは効率がよい――それは否定できないでしょう。
では、こうしたシステムエラーを排除するのであれば、どうすればいよいのか?
曹丕の父・曹操が、実例を示しております。
悪いのはシステム? 人そのもの?
かつて十常侍はじめ宦官に手を焼いた何進は、董卓や丁原を呼び寄せ、圧力をかけた上で抹殺することを主張しました。
それが実行に移されると、曹操はシラケきってこう反対しました。
「バカじゃねえの。宦官は必要悪だろ。バグを起こしている奴数名を始末すればいいだけ。こんな大袈裟なことをして、システムそのものを打ち壊す必要あるのかよ」
「お前がそういうのって、結局は宦官の孫だからだよな」
「いやいや、そういうことじゃないんだってば」
そんな冷たい反応を受け、結局は止めきれなかった――曹操には苦い経験があります。
その後、何進は殺害され、董卓が後漢に決定的な打撃を与えてしまいました。
曹操の思考回路であれば、こういう外戚政治のスマートな解決法は無意味だとシラケってもおかしくない。
実際に、無意味でしたから。
外戚政治は終わらなかった
拓跋氏の北魏は「太子の母殺害」をシステム化しました。
しかし「外戚政治おしまい! やったね!!」とはなりませんでした。
太武帝はこう考えました。
「生母は知らないが、乳母はとても素晴らしい女性。彼女の意見を尊重しよう!」
彼は乳母の竇氏を惠太后としたのです。
さらに、太武帝の孫・文成帝も、乳母を猛烈プッシュし、常太后としました。
この乳母たちは罪人の一族として宮中にいたため、生母を殺した結果、罪人の血縁者が権力を持つという、倒錯した状況をもたらします。
ただ、意外なハッピーエンドともいえる状況になりまして。文成帝は、女性による政治は悪くないと思ったのか、自らの太子の母を手にかけることはしませんでした。
幼い太子を補佐した彼女は、文成文明皇后として統治を行います。太子に代わり、皇后が統治を行う「垂簾聴政」の中でも成功例とされております。
ちなみにドラマ『王女未央-BIOU-』のヒロインは彼女。
ドラマの誇張だけではなく、史実でも功績を残しており「彼女のようになりたい!」というロールモデルともされました。
※『王女未央-BIOU-』はアマゾンプライムで無料視聴できます(→amazon)
後の歴史家は、このことを鮮卑ルーツだからと罵ってはおりますが。
「漢じゃないとダメだね。野蛮人はこういうゲスの極みをするから問題外」というのはただの偏見であると現代人ならば理解できましょう。
前述の通り、拓跋氏が参照にする前、実例を最初に作ったのは漢・武帝です。
女性の政治は悪しき例をクローズアップされがちですが、成功例もあります。
外戚や宦官そのものが悪いのか?
それとも、人が悪いのか?
魏晋南北朝の歴史を見ていると、複雑なものが見えてきます。
歴史から学べること。
それは嫌すぎる動機での幼子の母殺害事例です。
曹丕の甄皇后殺害動機はタイムマシンでも発明して、本人に聞かない限りわかりません。
ただ、こういう可能性はあり、他の実例もある。このことは興味深いのではないかと思うのです。
むろん動機はどうあれ、曹丕の悪事を理解することはできませんが……。
文:小檜山青
絵:小久ヒロ
【参考文献】
『中国儒教社会に挑んだ女性たち (あじあブックス)』(→amazon)
『正史 三国志 全8巻セット (ちくま学芸文庫)』(→amazon)
『三国志事典(大修館書店)』(→amazon)
他