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【文昭皇后甄氏】
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外戚政治、合理的な排除手段の例
外戚政治を排除するためにも、太子、つまり未来の皇帝の母を殺しておく――。
嫌気がさしてくる手段ですが、その実例を見てみましょう。
漢・武帝
鉤弋夫人こと趙婕妤(昭帝の母)に死を賜る
武帝には、様々な家庭的な不幸がありました。
「巫蠱の獄」により、戾太子・劉拠とその一族を冤罪で処刑してしまったのです。
太子亡き後、残された末子はまだ幼い。幼帝が即位し、若い母である太后がいるとなると、呂后(漢高祖劉邦の后・呂雉)のような政治的混乱が起こりかねない。
そう警戒し、死を賜りました。
呉・孫権
潘淑(太子・孫亮の母)、殺害される
罪人の娘であった潘皇后は、その美貌から孫権の寵愛を受け、後の呉の皇帝・孫亮を生みました。
しかし、彼女は孫権の看病に疲れて寝込んでいたところを、殺されてしまいます。
性格的に問題があり、恨みをかっていた。そんな動機説明がありますが……。
彼女は孫権の夫人の中でも最年少。呂后の統治について家臣に尋ね、政治参加への意欲を見せていたのです。
南宋・胡三省は「幼帝即位後、外戚政治が起こることを危惧した家臣による暗殺だ」という説を提唱しています。
呂后による政治研究は、確かに危険です……。
北魏・道武帝
宣穆劉皇后(明元帝の母)、死を賜る
このとき、太子とされた明元帝は「子が偉くなると母が死ぬのか……」と嘆きに嘆いたのですが。
北魏・明元帝
明元密杜皇后(太武帝の母)、死を賜る
「大局を顧みるため」と、息子に対しても同じことをしました。
いかがでしょう。
トロッコ問題じみた思考回路ですが、ここまで実例があるとやはり甄皇后の死因として「外戚の排除」という問題がありえるのではないでしょうか。
それに曹丕には動機もあります。
卞皇后の言葉には逆らえぬ
曹丕の生母にして、曹操の妻であった武宣皇后卞氏。
曹操は、彼なりの理由があって彼女を正妻にしたとも考えられます。
最初の正妻・丁氏は、親族単位でつきあいのあった女性でした。そして彼女との離婚後、謙虚で聡明、かつ歌妓出身で「有力な後ろ盾のない卞氏」を選んでいるのです。
万事控えめで、そのことが曹操を引き付けていた卞氏。そんな彼女も、強く意見を主張したことがあります。
曹丕と曹植が立太子問題で対立した際、曹植を殺さないでと身を挺すようにかばったのです。
邪推であると前置きした上で言いますが、これには曹丕が『母さえいなければ、曹植一派を根絶やしにできた……』と考えてしまった可能性は否めないでしょう。
実際、曹丕の怨恨に関係なく、この後継者問題はやはり禍根を残しております。
曹植本人は命を奪われなかったものの、彼を推薦した家臣には犠牲者が多数出たのです。
犠牲者数だけで考えれば、やはり母なり妻なりを黙らせることは効率がよい――それは否定できないでしょう。
では、こうしたシステムエラーを排除するのであれば、どうすればいよいのか?
曹丕の父・曹操が、実例を示しております。
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