文昭皇后甄氏

甄夫人像/wikipediaより引用

三国志女性列伝

美貌で知られる文昭皇后甄氏はなぜ夫の曹丕から死を命じられたか 謎多き曹叡の母

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悪いのはシステム? 人そのもの?

かつて十常侍はじめ宦官に手を焼いた何進は、董卓や丁原を呼び寄せ、圧力をかけた上で抹殺することを主張しました。

それが実行に移されると、曹操はシラケきってこう反対しました。

「バカじゃねえの。宦官は必要悪だろ。バグを起こしている奴数名を始末すればいいだけ。こんな大袈裟なことをして、システムそのものを打ち壊す必要あるのかよ」

「お前がそういうのって、結局は宦官の孫だからだよな」

「いやいや、そういうことじゃないんだってば」

そんな冷たい反応を受け、結局は止めきれなかった――曹操には苦い経験があります。

その後、何進は殺害され、董卓が後漢に決定的な打撃を与えてしまいました。

曹操の思考回路であれば、こういう外戚政治のスマートな解決法は無意味だとシラケってもおかしくない。

実際に、無意味でしたから。

 


外戚政治は終わらなかった

拓跋氏たくばつしの北魏は「太子の母殺害」をシステム化しました。

しかし「外戚政治おしまい! やったね!!」とはなりませんでした。

太武帝はこう考えました。

「生母は知らないが、乳母はとても素晴らしい女性。彼女の意見を尊重しよう!」

彼は乳母の竇氏とうしを惠太后としたのです。

さらに、太武帝の孫・文成帝も、乳母を猛烈プッシュし、常太后としました。

この乳母たちは罪人の一族として宮中にいたため、生母を殺した結果、罪人の血縁者が権力を持つという、倒錯した状況をもたらします。

ただ、意外なハッピーエンドともいえる状況になりまして。文成帝は、女性による政治は悪くないと思ったのか、自らの太子の母を手にかけることはしませんでした。

幼い太子を補佐した彼女は、文成文明皇后として統治を行います。太子に代わり、皇后が統治を行う「垂簾聴政すいれんちょうせい」の中でも成功例とされております。

ちなみにドラマ『王女未央-BIOU-』のヒロインは彼女。

ドラマの誇張だけではなく、史実でも功績を残しており「彼女のようになりたい!」というロールモデルともされました。

※『王女未央-BIOU-』はアマゾンプライムで無料視聴できます(→amazon

後の歴史家は、このことを鮮卑ルーツだからと罵ってはおりますが。

「漢じゃないとダメだね。野蛮人はこういうゲスの極みをするから問題外」というのはただの偏見であると現代人ならば理解できましょう。

前述の通り、拓跋氏が参照にする前、実例を最初に作ったのは漢・武帝です。

女性の政治は悪しき例をクローズアップされがちですが、成功例もあります。

外戚や宦官そのものが悪いのか?

それとも、人が悪いのか?

魏晋南北朝の歴史を見ていると、複雑なものが見えてきます。

歴史から学べること。

それは嫌すぎる動機での幼子の母殺害事例です。

曹丕の甄皇后殺害動機はタイムマシンでも発明して、本人に聞かない限りわかりません。

ただ、こういう可能性はあり、他の実例もある。このことは興味深いのではないかと思うのです。

むろん動機はどうあれ、曹丕の悪事を理解することはできませんが……。


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文:小檜山青
絵:小久ヒロ

【参考文献】
『中国儒教社会に挑んだ女性たち (あじあブックス)』(→amazon
『正史 三国志 全8巻セット (ちくま学芸文庫)』(→amazon
『三国志事典(大修館書店)』(→amazon

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