こちらは3ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【文昭皇后甄氏】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
悪いのはシステム? 人そのもの?
かつて十常侍はじめ宦官に手を焼いた何進は、董卓や丁原を呼び寄せ、圧力をかけた上で抹殺することを主張しました。
それが実行に移されると、曹操はシラケきってこう反対しました。
「バカじゃねえの。宦官は必要悪だろ。バグを起こしている奴数名を始末すればいいだけ。こんな大袈裟なことをして、システムそのものを打ち壊す必要あるのかよ」
「お前がそういうのって、結局は宦官の孫だからだよな」
「いやいや、そういうことじゃないんだってば」
そんな冷たい反応を受け、結局は止めきれなかった――曹操には苦い経験があります。
その後、何進は殺害され、董卓が後漢に決定的な打撃を与えてしまいました。
曹操の思考回路であれば、こういう外戚政治のスマートな解決法は無意味だとシラケってもおかしくない。
実際に、無意味でしたから。
外戚政治は終わらなかった
拓跋氏の北魏は「太子の母殺害」をシステム化しました。
しかし「外戚政治おしまい! やったね!!」とはなりませんでした。
太武帝はこう考えました。
「生母は知らないが、乳母はとても素晴らしい女性。彼女の意見を尊重しよう!」
彼は乳母の竇氏を惠太后としたのです。
さらに、太武帝の孫・文成帝も、乳母を猛烈プッシュし、常太后としました。
この乳母たちは罪人の一族として宮中にいたため、生母を殺した結果、罪人の血縁者が権力を持つという、倒錯した状況をもたらします。
ただ、意外なハッピーエンドともいえる状況になりまして。文成帝は、女性による政治は悪くないと思ったのか、自らの太子の母を手にかけることはしませんでした。
幼い太子を補佐した彼女は、文成文明皇后として統治を行います。太子に代わり、皇后が統治を行う「垂簾聴政」の中でも成功例とされております。
ちなみにドラマ『王女未央-BIOU-』のヒロインは彼女。
ドラマの誇張だけではなく、史実でも功績を残しており「彼女のようになりたい!」というロールモデルともされました。
※『王女未央-BIOU-』はアマゾンプライムで無料視聴できます(→amazon)
後の歴史家は、このことを鮮卑ルーツだからと罵ってはおりますが。
「漢じゃないとダメだね。野蛮人はこういうゲスの極みをするから問題外」というのはただの偏見であると現代人ならば理解できましょう。
前述の通り、拓跋氏が参照にする前、実例を最初に作ったのは漢・武帝です。
女性の政治は悪しき例をクローズアップされがちですが、成功例もあります。
外戚や宦官そのものが悪いのか?
それとも、人が悪いのか?
魏晋南北朝の歴史を見ていると、複雑なものが見えてきます。
歴史から学べること。
それは嫌すぎる動機での幼子の母殺害事例です。
曹丕の甄皇后殺害動機はタイムマシンでも発明して、本人に聞かない限りわかりません。
ただ、こういう可能性はあり、他の実例もある。このことは興味深いのではないかと思うのです。
むろん動機はどうあれ、曹丕の悪事を理解することはできませんが……。
あわせて読みたい関連記事
三国志女性列伝・鄒氏とは~そもそも曹操との間にゲスロマンスは成立しない?
続きを見る
三国志に登場する絶世の美女・貂蝉は実在せず?董卓と呂布に愛された伝説の女性
続きを見る
極寒の三国志~曹操があまりの寒さに詠んだ詩が凍えるほどに面白い
続きを見る
十常侍や梁冀らに食い潰された後漢~なぜ宦官がはびこり政治が腐敗してしまうのか
続きを見る
三国志を彩る美女たちはどう描く? 困難な時代考証とイラストの描き方
続きを見る
ボケ老人のフリして魏を滅ぼした司馬懿が恐ろしい~諸葛亮のライバルは演技派
続きを見る
文:小檜山青
絵:小久ヒロ
【参考文献】
『中国儒教社会に挑んだ女性たち (あじあブックス)』(→amazon)
『正史 三国志 全8巻セット (ちくま学芸文庫)』(→amazon)
『三国志事典(大修館書店)』(→amazon)
他