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レントゲンさん(Wikipediaより)

その日、歴史が動いた

レントゲンがスケスケ光線を発見!【その日、歴史が動いた】

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どんな分野であれ「一番」といえば自慢したくなるもの。
戦国時代では一番槍(最初に敵陣へ乗り込んだ人)が敵将の首を挙げるのと同じくらい評価されたこともあります。
「二番じゃダメなんですか」とは某政治家の言ですが、みんな一番を目指した結果の順位なわけですからね。

が、どこからどう見ても一番乗りなのに、それを誇らない謙虚な人も中には存在します。
今日の主役はヨーロッパにいた、とても慎ましやかなある科学者です。

1895年の11月8日、ヴィルヘルム・コンラート・レントゲンというドイツの科学者がX線を発見しました。
当コーナー初?の海賊紳士(英)でもおそロシアでもない西洋人さんですね。
ぶっちゃけこの二国はネタがありすぎてゲフンゲフン。
ドイツやイタリアの場合、統一が遅かったので名実ともに「ドイツ人」「イタリア人」というくくりにできるのは近代になってから、というのもありますがね。
レントゲンは国籍的にはオランダ人なんですけど(ボソッ)

レントゲンさん(Wikipediaより)

レントゲンさん(Wikipediaより)

 

婿入りしていればラディッグ検査だったかもね

レントゲンは1845年にドイツ西部のレムシャイトという町で生まれました。
この頃まだドイツは統一されておらず、急激に産業革命が進むわその影響で革命が起こるわでてんやわんやな状態。
レントゲンは比較的裕福な家庭の生まれだったことと、3歳の頃には一家揃ってオランダへ移り住んでいたため、ある程度安定した生活と教育を受けることができました。
ちなみに彼がオランダで勉学に励んでいる頃、ドイツ国内では王様が脳卒中を繰り返してえらいこっちゃになっています。
王様の弟さんが優秀だったので政務は割とスムーズに移行できたそうですが、ニアミスすげえ。

レントゲンがドイツに戻ってきたのは大学を出た後、25歳のときでした。
恩師が現在のバイエルン州にあるヴュルツブルク大学に赴任したため、その助手として移り住んだのです。
そして27歳のとき、学生時代から婚約していたアンナ・ラディッグという女性と結婚しました。
アンナはレントゲンより6歳上の姉さん女房でしたが、後にX線写真のモデルになるなど、旦那さんの研究にも協力的だったようです。
リア充(ry

レントゲンは30歳のときに一度数学・物理の教授もやっていたのですが、「学生に教えてると実験する時間ないじゃん!?」ということに後から気付き辞めてしまいました。
なぜ引き受ける前に予想しなかったのかツッコミたくて仕方ありません。
その後フランス・ストラスブール大学で助教授となり、思う存分実験をしながら論文を発表していきました。
が、その内容が各方面から「ブラボー!ぜひ教授になってください!!」と大喝采を浴びてしまったため、再び別の大学で正教授に就くことになります。

忙しいながらにレントゲンは実験を続け、発表しては認められるという優秀ぶり。
ご興味のある方は理系のお友達にお尋ねいただくか、ご自身でお調べください。
ぶっちゃけ骨の髄まで文型人間にはさっぱりワケワカメですすいません。
49歳で大学の学長に選ばれたというのですから、チートであることだけは理解できるんですけれども。

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スケスケ光線発見で初のノーベル物理学賞

X線を発見したのはその翌年、レントゲン50歳のときでした。
実験を始めた翌月には発見に至っていますから、これまたレントゲンのすごさがうかがえます。
これにより1901年に第一回ノーベル物理学賞を受賞し、一躍「時の人」になるわけですが、彼は自分の発見したものを「レントゲン」と呼ばれることは好ましく思っていなかったそうです。
なぜかというと、X線の発見に至るまでには他の物理学者が考えた装置や理論を多数使っていたため、「私一人の功績ではない」と考えていたのでした。
確かに、酸素ボンベを作ったからといってその人が酸素を生み出したことにはなりませんものね。
ちなみにX線の「X」は一次方程式などで代入するときのX(未知のもの)をそのままつけたんだとか。

その後もX線による特許で儲けようとかいうことを全く考えなかったため、お金も得られない代わりに同業者からやっかみを買うこともなかったようです。
ノーベル賞の賞金すら全額大学へ寄付してしまったくらいですから、金銭欲もさほどなかったのでしょう。
そもそも実演や講演自体が大嫌いで、X線写真の実演はドイツ皇帝の御前と地元での計二回しかやっていないとか。
研究肌や凝り性の人にはよくあることですが、人前に出るのが嫌いだったんでしょうかね。

清貧ゆえに広がったレントゲン検査、感謝です

こうしてできるだけ穏やかに過ごそうとしたレントゲンでしたが、時代は列強の思惑渦巻く20世紀初頭。
バルカンという火薬庫が弾け、第一次世界大戦でドイツは大負けに負けてしまいます。
しかも当時のドイツ政府が「賠償金早く返そうぜ!紙幣刷りまくればなんとかなんだろ!」というアホ過ぎる政策を採ったため、(当時)かつてないほどのハイパーインフレが起きました。

ドイツのハイパーインフレ(wikipediaより)

ドイツのハイパーインフレ(wikipediaより)

歴史の教科書とか資料集でよく出てくる、暖炉に紙幣をくべているあの写真の時代ですね。
あれは「薪を買うより紙幣を燃やしたほうが安いから」という洒落にならない理由があってのことなのです。
大本の原因は、戦勝国がドイツのお財布にあたるルール地方を差し押さえてしまったことなど、いろいろあるんですが……。

レントゲンは戦火に巻き込まれることはなかったものの、ドイツ国内で生活している以上インフレと無縁ではいられません。
その最中癌になってしまい、1923年2月10日に67歳で亡くなりました。
世紀の発見をした偉大な学者は、その清貧さ(無頓着さ?)故、困窮の中で世を去ることになったのです。
でも、彼が特許や金儲けにこだわっていたら、X線が医学に応用されてもなかなか広まらなかったかもしれないんですよね。
そういう意味では、レントゲンにとって本望だったのかも?

長月 七紀・記




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参考: http://obio.c-studio.net/science/010.htm




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