モアイ像(イースター島)

世界史

モアイ像とイースター島の歴史~なぜ巨大石像が作られ廃れたのか

こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
モアイ像とイースター島
をクリックお願いします。

 

いつしかモアイのための木材や森を巡る争いが起きるようになってしまいました。

守り神とみなされていたモアイを倒しあったりもしていたそうですから、罰当たりというかなんというか……。

さらに、森が狭まるにつれ地盤が弱くなり、豊かだった土が海へ流れ出し、土地がどんどん痩せていってしまいます。

どこからどう見ても文明崩壊です。

 

石像作りすぎて衰退したところにオランダ人さまよい来る

そこへやってきたのがオランダ海軍のヤーコプ・ロッヘフェーンという舌を噛みそうな名前の人。

前述の通り1722年イースターの日だったのです。

そのころ島の文明はすっかり逆行してしまっており、ほぼ石器時代に近かったとか。当時のヨーロッパ人からすれば野蛮にしか見えなかったでしょう。

その後「クック船長」の元ネタであるイギリス人ジェームズ・クックなど、度々ヨーロッパ人が訪れるようになりました。

が、そうした人々によって持ち込まれたものが、再び島を壊滅の危機に陥れることになります。

世界史上最大の悪夢・天然痘です。

全く免疫のなかった病気を前にして、島民は次々に倒れていきました。

19世紀の後半には島の人口が111人にまで減っていたそうですから、いかに猛威を振るったか。

一度訪れてみたい。

けど、ちょっと怖い。

そんなイースター島は、現在チリ領で、人口も約4,000人まで増えているそうです。

あわせて読みたい関連記事

アステカ文明
アステカ文明の生贄儀式ってマジ?『ジョジョの奇妙な冒険』原点へ

続きを見る

マヤ文明滅亡
マヤ文明はなぜ滅びた?最後は戦乱により200万人が何処かへ消えた

続きを見る

歴史ロマン溢れる古代文字! ロゼッタストーンや楔形文字って?

続きを見る

『英雄たちの食卓』を実践!チンギス・ハンやエリザベスは何を食べた?

続きを見る

藤村シシン『古代ギリシャのリアル』が空前絶後のぉおおおお~極彩色!

続きを見る

長月 七紀・記

【参考】
地球の歩き方編集室『世界遺産 イースター島完全ガイド』(→amazon
イースター島/wikipedia

TOPページへ

 



-世界史
-

×