黒人奴隷

アメリカ

「黒人奴隷少女は恐怖と淫らさの中で育つ」ハリエット 地獄の体験記はノンフィクション

人類にとって人種差別は避けられない業なのでしょうか。

2017年8月12日、南北戦争南軍の英雄ロバート・エドワード・リー(1807-1870)の銅像撤去をめぐり、白人至上主義者と反対派が激突。

150年の時を経て、南北のイデオロギーが再燃したかのような現象は、全米にとどまらず全世界まで震撼させました。

問題となった銅像のリーは、南軍に所属したとはいえ、奴隷制度には反対しておりました。

その理由は「両方の人種にとって悪影響を及ぼし、特に白人を道徳的に堕落させる」というものです。

では「道徳的に堕落させる」とはどういうことか?

おそらくリー本人、あるいは彼のような白人男性は、具体的には口にできなかったことでしょう。

その答えを知りたいのであれば、当時の黒人奴隷に聞く方がよくわかるはず。

実は私たちは、リーと同時代に生きた黒人奴隷少女の生々しい告発を知ることができます。

ハリエット・アン・ジェイコブス(1813-1897)、著。

1861年に出版された『ある奴隷少女に起こった出来事』(→amazon)は、生々しい苦難の詰まった一冊です。

 


奴隷制度が破壊する「古き良きアメリカ」

腕のよい大工の父、優しい母、利発な弟。そして聡明で料理が得意な祖母。

リンダは素晴らしい家族に恵まれた少女でした。

しかし、6歳で母、13歳で父、そして12歳で「女主人」と死別することで、その幸福は脆くも崩れてしまいます。

リンダは黒人奴隷でした。

その幸福は、常に主人の手にゆだねられているのです。両親の死よりも、主人の死の方が人生を激変させました。

リンダは12歳で、酷薄なドクター・フリントという主人の家に売られてしまいます。

それから3年の月日が流れ、リンダは聡明で美しい少女に成長しました。15歳の美少女といえば、幸運に恵まれた存在のように思えるでしょう。

しかし、奴隷の少女にとって美貌は呪いです。

主人のフリントは、美しく成長したリンダに目を付け、二人きりになると猥褻な言葉を掛けるようになったのです。

祖母マーサは、純潔がいかに大切なものか、リンダに教えてきました。信仰深いリンダは、祖母の言葉を信じて生きていました。

そんな彼女にとって、40も歳上の男がいやらしい誘いをかけてくることは、悪夢のようでした。

フリントは執拗に彼女を求め、リンダが黒人青年に恋をすれば引き裂き、何としても我が物にしようと迫るのです。

更には理不尽なことにフリントの夫人がリンダに嫉妬。敵意を向けるようになりました。

 


奴隷の黒人少女は恐怖とみだらさの中で育つ

これこそリーが婉曲な言葉で表現した「白人を道徳的に堕落させる」というものの中身です。

言葉を濁しておりますが、白人奴隷主が黒人奴隷女性を性的に搾取するということ。

筆者のハリエットは「奴隷の少女は恐怖とみだらさの中で育つ」と言い切りました。

14か15になれば、奴隷所有者たちは甘い言葉やプレゼントで奴隷少女を誘惑しようとし、それがうまくいかなければ鞭で殴りつけ、飢えさせることで目的を達成しようとしたのです。

リーは、白人の堕落には気に掛けておりました。

が、そこで搾取されるリンダのような女性の苦しみに理解を示すことはなかったでしょう。

読者よ、わたしは空想で南部家庭の情景を描いたりしない。わたしは正直にお話している……

筆者はそう語り、「古き良きアメリカ南部」の家庭像を破壊します。

そこにいるのは信心深く慈悲にあふれた家庭ではなく、憎しみと猜疑心に満ちた人々の姿です。

好色で残忍な夫、猜疑心と嫉妬に満ちた妻、肌の色の違う異母きょうだいたち。

黒人奴隷だけではなく、奴隷を所有する白人たちも幸福な家庭像から遠ざかるのだ、と筆者は主張します。

両方の人種にとって奴隷制度は悪影響をもたらす――この点において筆者と、リーのような人の見解は一致するわけです。

 


7年間におよぶ屋根裏での生活

魔手から逃れたいリンダがたどり着いたのは、読者をさらに唖然とされるような手段でした。

フリントより性格がまともなサンズという白人男性と先に関係を結び、妊娠したのです。

が、リンダの災難は終わりません。

フリントの性的な関心は強い憎しみに変わっただけ。

フリントの所有物であるリンダの産んだ子は、フリントにとっては「財産」でしかありません。

リンダにとって最愛の子は、やがて奴隷として売り飛ばされる境遇にあるのです。

これは何も彼女に限ったことではなく、多くの黒人奴隷女性たちが同じ悲劇に直面しました。

奴隷の子たちが売りに出されるのは新年――この時期にになると嘆く母親たちの姿がアチコチで見られたのです。

出産以来、フリントの憎しみ、そして虐待はますます酷くなります。

リンダはこれ以上耐えられないと感じました。

そこで彼女は命がけで逃亡。

七年間という月日を、祖母宅の屋根裏という狭い空間で隠れ過ごします。

※画像はイメージです

何度も見つかりそうになりながら、我が子を案じながら、リンダは狭い屋根裏でじっと耐え抜きました。

息を殺し、暑さ寒さに耐え抜き、時には病気にまでなりながら、リンダは堪え忍びます。

しかし……。

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