イギリス

追っかけから始めて何が悪い?『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち』

シェイクスピアってなんか難しそう……って、イメージ、お持ちです?

いえいえ、そんなことはありませんよ!

とても面白い!

だからこそ愛されるわけで、イギリスの俳優にとってシェイクスピア劇を演じるのは修行であり、良き経験であり、ステータス。

彼らのファンであれば「シェイクスピア劇も、見なくちゃ!」という法則が成立します。

ベン・ウィショー様ぁ!

 

トム・ヒドルストン様ぁ!

 

ベネ様ぁ!

しかし、こういう女性視聴者は、ときに小馬鹿にされがちです。

「シェイクスピアの真髄なんてわからなくて、イケメンが見たいだけでしょ」

いえいえ、昔から彼女らだって役割があった――そう問いかけてくるのが、本書

『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち:近世の観劇と読書(→amazon

の筆者でありシェイクスピアを研究しておられる北村紗衣氏です。

彼女も、実は昔、レオナルド・ディカプリオ主演の『ロミオ+ジュリエット』がきっかけでシェイクスピアに興味を抱き、この道に進んだのでした。

 

女性も、そこにいた

そこにいたはずの女性が、いなかったことにされる――。

歴史を考える上で、どうしてもそういう傾向にぶつかることがあります。

例えば、古代オリンピックです。

女人禁制と考えられておりますが、実は既婚女性のみが禁じられておりました。

家風が比較的自由かつ、好奇心旺盛な未婚女性は、見に来ていたのです。

古代オリンピック
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従軍した女性兵士や、火薬を運搬する役割を果たすために木造戦艦に乗り込んだ女性もおりました。

女性の海賊だって、存在しております。

ただ、こうした女性はあくまで例外とみなされ、排除される傾向がありました。

シェイクスピア劇場の女性観客も、この一例ではないでしょうか。

実は、16世紀から17世紀にかけての記録では、当時のシェイクスピア観客のうち13パーセントは女性だったとか。

ロンドンに復元されたグローブ座/photo by Dickbauch wikipediaより引用

身分も様々で、上流階級の女性もいれば、リンゴ売りのような平民もいたとか。

彼女らの行動原理を見ていますと、現代と大差がなくて、思わず微笑んでしまいそうです。

観劇を通して、友達と友情を高め、楽しい時間を過ごしたい。

自分でも演劇を書いて、二次創作もしてみたい。

二次創作はハピエン(ハッピーエンド)改編もアリ!

イケメン俳優を追いかけたい!

この、イケメン追いかけには格差がありました。

上流婦人は自分の馬車に乗せて自慢することすらできたのに、そうではない平民の場合、グルーピー化するだけで犯罪者扱いされてしまったとか。

何はともあれ劇を見る楽しみは、昔からあったんですね。

現代と変わりないじゃん!

そんな驚き、親しみを感じてしまう方も多いのではないでしょうか。

実は、シェイクスピア自身も、女性観客を意識しておりました。

彼が執筆した口上には、女性観客に呼びかける内容のものがあると分析されております。

作者も公認していたのに、見逃されてきた。

それが女性観客だったのです。

 

読み、書き、演じる女性たち

女性は歴史の中でどうしても軽視されがちです。

彼女らが何を読み、書いていたのか?

そんなことすら、わかりにくかったりします。

本書では、女性が読んでいたシェイクスピア蔵書の分析、女性作家について記述があります。

日本では有名とはいえない女性作家の分析からは、彼女が何を考えて書いていたのかわかり、興味深いものがあるのです。

時代がくだると、シェイクスピアに接する女性は増えてゆきます。

識字率が高くなり、様々な地域で書籍を手に入れることが出来るようになり、ファンも増えてゆくのです。

本を贈りあい、楽しむ姿もうかがえます。

時代がくだると、女性と表現の関わりは変貌してゆきます。

かつてのイギリスでは、女優が舞台に立つことはありませんでした。

女形が演じていたのです。それが女優によって解禁されてゆきます。

シェイクスピアへの関わりは、より深くなってゆくのです。

時代が降るにつれ、シェイクスピアは学ぶべき古典、教養として根付き、文学論の俎上に載るようになりました。

男性だけではなく、女性たちも、その作品について議論を展開していたのです。

ファンとして楽しむだけではなく、シェイクスピアの影響のもと、作家や劇作家として頭角を現す女性も現れてきます。

ただ楽しむだけではなく、生きるためにシェイクスピアを学ぶ。そんな女性たちの姿もあるのです。

『ヘンリー八世』で王妃キャサリンを演じるエレン・テリー/wikipediaより引用

 

クラブだ、祭だ! シェイクスピアを楽しもう!

イギリスの文化を語る上で欠かせないものといえば、クラブです。

シャーロック・ホームズの兄・マイクロフトが通う「ディオゲネス・クラブ」のことをご存じの方も多いことでしょう。

 

こうしたクラブは、なにも男性だけのものではありません。

シェイクスピア演劇を鑑賞する、「シェイクスピア・レディース・クラブ」もありました。

こうしたクラブ会員の要請に応じた公演もあったそうで、何とも楽しそうではありませんか。女性観客の熱気に感謝を述べた記録もあります。

なんだ、なんだ、シェイクスピアを支えた熱気は女性もあるんじゃないか!

そうワクワクしませんか。

熱気の頂点が、18世紀に開催された「シェイクスピア・ジュビリー祭」です。

シェイクスピアの生まれ故郷ストラトフォード=アボン=エイヴォンに、に会場が作られ、記念祭が開かれました。そこに女性たちも押し寄せたのです。

ストラトフォード=アボン=エイヴォン/wikipediaより引用

当時、ロンドンから馬車で2日間かかったこの場所。

それにもかかわらず、身分特定された204名のうち、46名が女性だったというのですから、驚きです。

しかも参加者は、コスプレもしておりました。

マクベス』に登場する三人の魔女コスプレをしていた女性たちは、絵にまで残っております。うわぁ、楽しそうだ!

実はこのお祭り、上演はなし。

ともかくシェイクスピアファンが集まって、コスプレをして、盛り上がっていた場であったのです。

「なんだ、私たちと変わりがないんだね、ファン心理って!」

そんなふうに、ファンダムの楽しさを痛感できる方もおられるでしょう。

私もニヤニヤしっぱなしでした。

こうしたファンダムの活動は、軽蔑され、ミーハーだのなんだの、とかくバカにされるものです。

しかし、本書を読めば、開催者側だって無視できなくなっていたことがよくわかるのです。

 

女はそこにいて、盛り上げていたのです

戦場、歴史的な発言の場、文壇。

そこに女性がいたにも関わらず、無視されてきた歴史の場は実に多いと冒頭で書きました。

いたとしても、そんな女性は例外であり、変わり者。

いたとしても、そんな女性は浅はかで、イケメンにキャーキャー言っているだけ。

だから無視してよい……果たしてそうでしょうか?

本作が投げかけ、映し出す女性の姿と、その軽視ぶりを思えば、これは現在も続くことです。

北村氏も指摘している通り、俳優目当てでシェイクスピアを見る女性は、軽視されがちです。

歴史にせよそうで、女性の歴史ファンはそれだけで、

「イケメン武将が目当てなんでしょ? 歴女ってやつ」

と笑いものにされ、小馬鹿にされることもあるのだとか。

そういう見方が、いかに馬鹿馬鹿しく、くだらないものであるか。そのことに本書はきっちりと反論しているものでもあるのです。

どうして女性の姿が、シェイクスピア研究から排除されがちであったのでしょうか?

シェイクスピア本人が口上で女性観客を意識していたほどであるというのに。

興行側が女性観客を期待している構図だって、当初から現在まで変わりはないでしょう。

そして何と言っても、本書において「女性排除が愚かである」と明確に示しているのは、筆者たる北村氏その人です。

かつてレオ様のロミオに憧れた少女が、シェイクスピア研究者として、こんな素晴らしい一冊を出したこと。

これぞ、まさに反論として強力な一撃です。

イケメン俳優から入っても別によいじゃないですか。

その結果が、この素晴らしい一冊なのですから!

文:小檜山青→note

【参考】
『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち:近世の観劇と読書』→amazon

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