ヒトラーの息子

ヒトラーの死を伝える『星条旗新聞』号外/wikipediaより引用

ドイツ

「お前の父親はヒトラーだよ」母の告白に仰天した反独レジスタンス兵~顔は似ている?

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1970年代にドイツのマスコミがかぎつけ

ヒトラーは、愛人だったエバ・ブラウンとの間に子供を残していた節がありますが、その後の経緯がハッキリしません。

つまり、ジーン・マリー・ロレットだけが、現時点で確認できる唯一の子孫。

反独感情が強く残ったフランスでは、こうした出自がバレると危険極まり無いのは言うまでもありません。

ところが、人の口に戸は立てられず、スボンクールでは噂になっていました。

それを知ったのが、ドイツ人の歴史家、ウェルナー・マーザーです。

「ヒトラー伝」などで名高い人ですが、この人がヒトラーの転戦先の1つであったヴァヴランを1965年に現地調査した際に噂を知り、ロレット本人にもあった上で「世に公表するべきだ」と確信。

マーザー自身が史料などを確認し、ドイツで事実が知らされたのが1970年代初頭のことでした。

以降、ドイツの雑誌や、歴史誌などで相次いで紹介されていきます。

もっとも一連の事態を巡っては、歴史家の中から「マーザーはセンセーショナリズムを追いかけすぎだ」との批判もあったそうです。

ロレット本人にとってトドメの一撃となったのは、ドイツのハイデルベルグ大学で行われた医学鑑定。

「父親はヒトラーに間違いありません」という告知でした。

 

ヒトラーは息子の存在を知っていた?

そもそもヒトラーと母親は、どこで出会ったのか?

どうやら、最初の出会いは1916年、ベルギー国境に近いプレモンという街だったようです。出産の2年前ですね。

以降、転戦先でも会っていた模様で、そうこうするうちに男女の仲になったのでしょう。

で、ヒトラーはロブジョの事を覚えていた。

というのも、フランス陥落後に彼女はサナトリウムに入り、この時にヒトラーが口利きしていた模様なのです。

また、ゲシュタポもフランス占領地の本部があったパリにロレットを連行し、尋問。

ジーン・マリー・ロレットはゲシュタポに協力しろとも言われました。

そこで面従腹背を決意する訳ですが、本人はどうやら「俺の父親がドイツ人だから、使えるとでも思っているようだな。そうはさせないぞ」ぐらいの気持ちだったのでしょう。

考えて見ると、著書『我が闘争』では人種の純粋性を主張していたのがヒトラーです。

フランス人を「猿」と罵倒する事もあったそうで、そういう言動やイデオロギーのくせして「お前、フランス人と子供まで作ってるやんけ!」となれば、それこそ政権の根幹を揺るがす大スキャンダルになります。

神経を使うのも、むべなるかな。

そして裏付け史料が乏しかった所に新たな展開が見られたのは1985年2月15日のことでした。

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