人間も動物の一種である以上、本能というものが存在します。
三大欲求はもとより「有名になりたい」という願望もその一つでしょう。
しかし、素晴らしい芸術作品を残したとか、見事な戦術で味方を勝利に導いたとかならともかく、中には「は?」としか言いようのないことで名を残した人もいます。
いわば歴史版バカッター(古い?)ですね。
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今回はそんな出来事を二つご紹介します。
歴史に名を残したい!→記録抹消
紀元前323年7月21日、ヘロストラトスという青年がギリシャのアルテミス神殿へ放火しました。
動機は「自分の名前を残すため」。
この時点でぶん殴りたくなってしまいますが、2300年前から売名という概念があったギリシャ人ぱねぇっすね。さすが哲学のお国ですわ。
なぜ彼の目的がわかったのか?というと、捕まったときに本人があっさり白状したからです。
「自分の名を歴史に残すため、最も美しい神殿に火を放った」という、パッと見は哲学的でカッコイイ口上です。
が、実際は「死んだ後も有名になりたいんでやりました!チィーッス☆」程度でしょう。
実際、名前を残してしまって腹立たしいのですが……。
もちろん、こんな下らない理由で神殿に火をつけた人間に対し、市民は激怒。
「ヤツの望みを叶えてたまるか!」
ということで、彼に関する一切の記録を消すという刑罰が下されます。
ではなぜ、へロストラトスの名前がわかるのか?
同刑が決まったにもかかわらず同時代及び後世の歴史家が
「こんなアホがいたんだぜwww」
とネタにしてしまったからです。ったく……。
江戸城で刀を忘れて歴史を残したゆかいな京極さん
ほのぼのしていいのかどうかビミョーな話をもう一つ。
寛政二年(1790年)8月20日、京極高久がとあるポカミスで歴史に名を残しました。
高久は幕府の若年寄も務めた大名(京都・峰山藩)です。
この時代の政権運営者は、頭の固いことで有名な松平定信でした。
この日は台風かゲリラ豪雨と思しき大嵐でしたが、幕閣にそんな理由での欠勤は許されません。
しかも江戸城の降車(駕籠)場に定信が来ているのが見えたので、高久は「やっべ!早く駕籠降りないとまたネチネチ言われる!」(超訳)と焦り、なんと武士の命である刀を忘れて城に入ってしまいました。
よく気の利く部下が主人の登城を確かめた後、駕籠の中を見て「やっべウチの殿刀忘れてるよ!早く届けなきゃ!!」(超訳)とこれまた焦ったのですが、門番に「お前何してんの(刀ぶら下げて門を通ろうとはいい度胸じゃねえかゴルァ)」と咎められてしまいます。そりゃそうだ。
ここでこの部下、あろうことか「ウチの殿様の忘れ物です!!」(超訳)と正直に答えてしまったため、門番から流れ流れて城中に「京極が刀忘れたんだってさープークスクス」と言われるようになってしまいます。
以前、似たようなことをやった人がクビになっていたため「これは腹を切ることになっても仕方ない……」と涙目(※イメージです)で覚悟を決めた高久。
心身に不調をきたしてしまい、約一ヵ月後に寝込んでしまいました。
悪天候の中で焦れば仕方がないと思ったのか、幕府からお咎めはなかったようなのですけどね。
ときの将軍・徳川家斉も「アイツはいつもマジメにやってくれてるし、たった一度の失態くらい気にすんな。でも面子もあるだろうから、別件で半月謹慎扱いにするわ」(意訳)という粋な計らいをしてくれました。キャー家斉サンカッコイー
2300年前と同レベルか
狙って名前を残せるならば、当人は「してやったり」でしょう。
しかし、不本意な経緯と共に記録されてしまうのは(´・ω・`)って感じですよね。
この手の話題はグロ系統が多いので、その辺を避けていたらなんとも微妙な取り合わせになりました。
「切り裂きジャック」(※画像検索ダメ絶対・被害者の写真が出てきます)とか出すと食欲が失せてしまいますしね。
彼(彼女かもしれませんがとりあえず語感的にこっちで)は最古の愉快犯でしょうねえ。
つまり現代のバカッターとは、2300年前の人と発想・道徳意識が同レベルなんですね。
成長しろよ、と。
長月 七紀・記
【参考】
『武士の評判記―『よしの冊子』にみる江戸役人の通信簿 (新人物ブックス)』山本博文(→amazon link)
ヘロストラトス/wikipedia
記録抹殺刑/wikipedia
イスタンブルのミニチュアパークにあるアルテミス神殿の模型/photo by Zee Prime wikipediaより引用